「植民地近代(性)」論 4
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/06/10 05:26 投稿番号: [7655 / 10735]
民族主義批判への逆批判
植民地期の近代性・民族主義の連続についても、単純に「残滓」「再生産」として位置づけるのも問題である。この問題は、解放後史の固有な歴史空間の中で同時代史的に論じていく必要がある。そこでは冷戦と分断、米国や日本の影響などを抜きにしては論ずることができない問題を含んでいる。
また、南朝鮮の民主化闘争を「ナショナリズム」の一言で括ることは、短絡に過ぎる。民主化闘争は、なによりも自由と自立のための闘いであった。それは、ナショナリズムからキリスト教、リベラリズムからマルクス主義に至るまで、広範な政治的立場の相違を抱えつつ、軍事独裁打倒という共通の目標によって結ばれた一群の人々が担ったものであった。抵抗ナショナリズムとは、そうした多様な人々の集合を象徴する集合名詞であった。
「植民地近代」論は、従来、ナショナリズム側が「近代」や「民族」を自己完結的に絶対化してきたと批判するが、実は、彼ら自身がそれらを一つの完結した閉鎖論理をもつものとして暗黙的に上程している。しかし、もともと近代や民族主義が、正負の両側面をもつのは自明のことではないか。その内的矛盾のなかで、自己発展と止揚の過程を歩んできたのである。現在の南朝鮮の民主化運動も、「ある一時代の変革を中心的に担った『われわれ』は解体され、新しい時代の要求に応えることのできる次の『われわれ』が形成される」(徐京植)途上にあるといえる。抵抗ナショナリズムは、新たな環境と試練に立ち向かうため、ダイナミックな分裂と綜合の過程を反復しながら、鍛えられていくのだろうと思う。
「近代」「民族」を越えるということは、南朝鮮や日本の「敵対的な共犯関係」にあるとされるナショナリズムを批判していれば事足りることではない。被抑圧者が抵抗のためにナショナリズムを必要としている状況、それを克服しようという意志と方向性を欠いていれば、その言説は「ナショナリズム」ではなく、「抵抗」を無力化する力(忘却に向けた共犯関係)としてのみ作用するであろう。実際、近代性の包摂性を重視するこうした研究の進展が、「植民地の近代化に貢献した日本」という構図を描こうとする日本や南朝鮮の歴史修正主義によって「つまみ食い」されている。
また、そういう状況への批判的な省察とともに、実質的な解決を担う展望や対案の創出がともなわなければならない。その中間項として、冷戦の克服と不可分に関係する朝米関係および朝・日関係の改善、南北分断の克服を挙げることに異論はないと思う。この過程を通じてこそ、われわれは国民国家をも相対化していく東アジアを構築するものにつながっていくのではないか。(康成銀、朝鮮大学校教授)
[朝鮮新報 2008.6.9]
これ読むと、悲劇の根本は
「自分たちは一応は人並みにできるはず」
という錯覚だな。
植民地期の近代性・民族主義の連続についても、単純に「残滓」「再生産」として位置づけるのも問題である。この問題は、解放後史の固有な歴史空間の中で同時代史的に論じていく必要がある。そこでは冷戦と分断、米国や日本の影響などを抜きにしては論ずることができない問題を含んでいる。
また、南朝鮮の民主化闘争を「ナショナリズム」の一言で括ることは、短絡に過ぎる。民主化闘争は、なによりも自由と自立のための闘いであった。それは、ナショナリズムからキリスト教、リベラリズムからマルクス主義に至るまで、広範な政治的立場の相違を抱えつつ、軍事独裁打倒という共通の目標によって結ばれた一群の人々が担ったものであった。抵抗ナショナリズムとは、そうした多様な人々の集合を象徴する集合名詞であった。
「植民地近代」論は、従来、ナショナリズム側が「近代」や「民族」を自己完結的に絶対化してきたと批判するが、実は、彼ら自身がそれらを一つの完結した閉鎖論理をもつものとして暗黙的に上程している。しかし、もともと近代や民族主義が、正負の両側面をもつのは自明のことではないか。その内的矛盾のなかで、自己発展と止揚の過程を歩んできたのである。現在の南朝鮮の民主化運動も、「ある一時代の変革を中心的に担った『われわれ』は解体され、新しい時代の要求に応えることのできる次の『われわれ』が形成される」(徐京植)途上にあるといえる。抵抗ナショナリズムは、新たな環境と試練に立ち向かうため、ダイナミックな分裂と綜合の過程を反復しながら、鍛えられていくのだろうと思う。
「近代」「民族」を越えるということは、南朝鮮や日本の「敵対的な共犯関係」にあるとされるナショナリズムを批判していれば事足りることではない。被抑圧者が抵抗のためにナショナリズムを必要としている状況、それを克服しようという意志と方向性を欠いていれば、その言説は「ナショナリズム」ではなく、「抵抗」を無力化する力(忘却に向けた共犯関係)としてのみ作用するであろう。実際、近代性の包摂性を重視するこうした研究の進展が、「植民地の近代化に貢献した日本」という構図を描こうとする日本や南朝鮮の歴史修正主義によって「つまみ食い」されている。
また、そういう状況への批判的な省察とともに、実質的な解決を担う展望や対案の創出がともなわなければならない。その中間項として、冷戦の克服と不可分に関係する朝米関係および朝・日関係の改善、南北分断の克服を挙げることに異論はないと思う。この過程を通じてこそ、われわれは国民国家をも相対化していく東アジアを構築するものにつながっていくのではないか。(康成銀、朝鮮大学校教授)
[朝鮮新報 2008.6.9]
これ読むと、悲劇の根本は
「自分たちは一応は人並みにできるはず」
という錯覚だな。
これは メッセージ 7654 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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