朝鮮民族

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

「植民地近代(性)」論 2

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/06/07 11:08 投稿番号: [7650 / 10735]
脱近代、脱民族

  「収奪論」であれ「植民地近代化」論であれ、その表面的な対立にもかかわらず、両者は、近代、民族主義を肯定する論理としては共通している。そこには、民族主義を過大に評価し、それを唯一の尺度として植民地期および解放後史を見る視座が見受けられるが、まさにこの点に問題がある。植民地期の朝鮮人の実像は、もはや従来の「抵抗か、屈従(親日)か」という二分法的な民族主義歴史観では捉えることはできないのである。
  解放後史も南北が互いに植民地期の近代性、民族主義の「残滓」を「再生産」する連続の過程であった。かつての南朝鮮民主化闘争の精神的源泉であったナショナリズムも、今日ではさまざまな問題を生んでいる。その主たる原因は、「民族」や「民衆」という概念を根本的に問うことをせず、それらを自己完結的に絶対化してきたことにある。また、現在の世界化(グローバル化)も、国民国家体制の解体というよりも、ナショナリズムの危機を煽り、「国史」の強化を通じて国民を「再国民化」する方向に向かっている。
  国民国家の解体に繋がる新しい世界認識は、脱近代・脱民族の方向で獲得される。その当面の実践の場として「東アジア」を設定することができる。しかし、現在、東アジア諸国の歴史問題や領土問題をめぐって、「国史」に根ざした民族主義の「敵対的共犯関係」が強化されているというのが現実である。このような現実を克服するためには、民族主義的な「国史」を解体し、東アジア共通の歴史認識を模索することが何よりも大切であろう。
  以上、要するに、「植民地近代」論は、民族主義的に政治化された「支配−抵抗」の二分法的図式を相対化し、支配権力と被支配者の複雑に絡まった関係性を考察することによって、二項対立的なカテゴリーに収まりきれない多様なアイデンティティと「近代主体」の姿を明らかにし、かつ、そのことによって「近代」「民族」の多義性、重層性を浮き彫りにしようとするものである。しかし、そこには看過できない問題点も少なくない。(康成銀、朝鮮大学校教授)   [朝鮮新報 2008.6.6]


まあ、馬鹿は馬鹿なりに考えているようです。(嘲笑)
でも、事実は事実だから、それがジレンマになるのですね。
帰国すれば、一挙解決なのに。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)