「植民地近代(性)」論 1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/06/07 11:07 投稿番号: [7649 / 10735]
「植民地近代(性)」論の問題点
「植民地近代(性)」論
1990年代後半に入って、「収奪論」と「植民地近代化」論の両者に共通する「近代」肯定論的な性格(すなわち「収奪論」は内在的な「近代化」「植民地近代化」論は外来的な「近代化」をそれぞれ強調)を止揚すべきだとする研究動向が現れるようになった。それが今日、「植民地近代(性)」論と呼ばれている一連の研究である。代表的な研究者としては、並木真人、松本武祝、尹海東、林志弦らがいるが、一つのグループを形成したわけでなく、研究者によっては、そのスタンスに違いがあるようである。
「植民地近代(性)」論は、植民地状況の中で形成される近代というものの性格=近代性を問い直そうとする議論である。換言すれば、植民地主義と近代性を表裏一体のものとして捉え、近代性そのもののもつ権力性や抑圧的、差別的な諸側面に注目する視座であるといえる。「植民地近代化」論がマクロな統計数値や制度的側面、企業の動向など、主に経済史研究の領域に属するのに対して、「植民地近代(性)」論はその状況を生きた人々のミクロで日常的な事象に焦点をあてる社会史研究を領域としている。朝鮮における「植民地的近代(性)」研究の論点はおよそ以下のとおりである。
都市文化へのヘゲモニーとしての成立
1920〜30年代には、朝鮮の都市部を中心に、欧米・日本のそれと同時代的に、大衆文化としての都市文化(消費、科学、「新女性」、ラジオ、電話)が普及した。いわば植民地朝鮮において「近代(性)」が成立していたことが確認される。それらは、欧米の文化的ヘゲモニーを強化する効果をもたらした。ただし、それらを享受しえた朝鮮人は少数(主として中間層)にとどまり、大多数はカヤの外におかれた。「近代性」の普及に便乗して、植民地権力は日本の文化的ヘゲモニー(「皇国臣民」イデオロギー)の注入も図ったが、他方、それに反発して朝鮮人のなかからは、対自的なカウンター文化(いわゆる「民族文化」)が生み出される場合もあった。
「グレーゾーン」と「近代主体」の形成
「近代性」のヘゲモニーが優越するなかで、朝鮮人はつねに動揺しながら、植民地権力に協力しては抵抗するという両面的な様相を呈してきた。そのような「抵抗」と「協力」とが交差する地点に、「グレーゾーン(灰色地帯)」−病院・学校・社会事業、末端行政機関といった規律権力施設=公共施設―が位置していた。そこでは、女性解放運動、被差別身分解放運動など、多様なアイデンティティが存在しており、「コラボレーター(協力者)」が「近代主体」として成長していた。植民地権力はこのような「公共性」の領域内で、「近代主体」として自己を形成していった朝鮮人エリート(中間層)を「対日協力者」として位置づけた。一方、「協力者」はそれらの場を利用しながら、公共施設の設立・拡充の実現を植民地権力に対して要請する運動を主導していった。いわば、中間層の「対日協力」と植民地権力とのあいだには「同床異夢」的なズレが生じていた。
あれれ、これも2まで行ってしまう。
「植民地近代(性)」論
1990年代後半に入って、「収奪論」と「植民地近代化」論の両者に共通する「近代」肯定論的な性格(すなわち「収奪論」は内在的な「近代化」「植民地近代化」論は外来的な「近代化」をそれぞれ強調)を止揚すべきだとする研究動向が現れるようになった。それが今日、「植民地近代(性)」論と呼ばれている一連の研究である。代表的な研究者としては、並木真人、松本武祝、尹海東、林志弦らがいるが、一つのグループを形成したわけでなく、研究者によっては、そのスタンスに違いがあるようである。
「植民地近代(性)」論は、植民地状況の中で形成される近代というものの性格=近代性を問い直そうとする議論である。換言すれば、植民地主義と近代性を表裏一体のものとして捉え、近代性そのもののもつ権力性や抑圧的、差別的な諸側面に注目する視座であるといえる。「植民地近代化」論がマクロな統計数値や制度的側面、企業の動向など、主に経済史研究の領域に属するのに対して、「植民地近代(性)」論はその状況を生きた人々のミクロで日常的な事象に焦点をあてる社会史研究を領域としている。朝鮮における「植民地的近代(性)」研究の論点はおよそ以下のとおりである。
都市文化へのヘゲモニーとしての成立
1920〜30年代には、朝鮮の都市部を中心に、欧米・日本のそれと同時代的に、大衆文化としての都市文化(消費、科学、「新女性」、ラジオ、電話)が普及した。いわば植民地朝鮮において「近代(性)」が成立していたことが確認される。それらは、欧米の文化的ヘゲモニーを強化する効果をもたらした。ただし、それらを享受しえた朝鮮人は少数(主として中間層)にとどまり、大多数はカヤの外におかれた。「近代性」の普及に便乗して、植民地権力は日本の文化的ヘゲモニー(「皇国臣民」イデオロギー)の注入も図ったが、他方、それに反発して朝鮮人のなかからは、対自的なカウンター文化(いわゆる「民族文化」)が生み出される場合もあった。
「グレーゾーン」と「近代主体」の形成
「近代性」のヘゲモニーが優越するなかで、朝鮮人はつねに動揺しながら、植民地権力に協力しては抵抗するという両面的な様相を呈してきた。そのような「抵抗」と「協力」とが交差する地点に、「グレーゾーン(灰色地帯)」−病院・学校・社会事業、末端行政機関といった規律権力施設=公共施設―が位置していた。そこでは、女性解放運動、被差別身分解放運動など、多様なアイデンティティが存在しており、「コラボレーター(協力者)」が「近代主体」として成長していた。植民地権力はこのような「公共性」の領域内で、「近代主体」として自己を形成していった朝鮮人エリート(中間層)を「対日協力者」として位置づけた。一方、「協力者」はそれらの場を利用しながら、公共施設の設立・拡充の実現を植民地権力に対して要請する運動を主導していった。いわば、中間層の「対日協力」と植民地権力とのあいだには「同床異夢」的なズレが生じていた。
あれれ、これも2まで行ってしまう。
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