朝鮮民族

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ウリは大虐殺されたニダ 1

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/04/30 19:58 投稿番号: [7540 / 10735]
〈関東大震災下の朝鮮人虐殺問題   国家の核心機関が虐殺に関与

  なぜ、国家犯罪というか(とくに戒厳令問題)

  大震時の朝鮮人虐殺問題をなぜ国家犯罪と言うのかの理由は、①国家権力の中枢である内務省が、戒厳令発布を朝鮮人暴動流言と結びつけたこと、②朝鮮人暴動流言を政府、この場合は内務官僚・警察をして伝播流布させたこと、③朝鮮人虐殺を軍隊が先導して行ったから−である。つまりは、日本国家の核心機関が虐殺事件に全的に関わっていたということである。以下、順を追って説明を加えたい。

  ①戒厳令問題

  餮地震被害の状況と被災者の状態

  1923年(大正12年)9月1日正午2分前、関東地方に突如として大地震がおこった。稀有の大激震に多くの家は倒壊し、ちょうど昼食準備の火を使っていた事情と重なって各所での火事の発生となり、またたく間に東京・横浜をはじめとする繁華街や家屋密集地は炎に包まれたが、天を焦がす大火は夜を徹して燃え広がり、18時間、または20数時間も燃え続けた。死者は10万(14万人ともいう)を超え、負傷者はこれに数倍した。経済的損害は当時の金で50億円とも100億円(今の金に直せば数兆円にはなろう)とも言われたが、実に史上まれにみる大災害であった。
  したがって、罹災民衆の苦労は想像を絶するものがある。「当時に於いては百万に近き罹災者あり、而も其罹災者は家財を失ひ、父母妻子離散し、寝る所なく、食ふに糧なく、着るの衣なく、実に惨憺たる状態にあり」(雑誌「自警」大正12年11月号)と、時の内務大臣水野錬太郎は書いている。
  このような罹災者は日比谷公園や「宮城」前などに50万人、上野公園、芝公園、靖国神社境内などに10万人くらい集まってきたと言う。家は焼け、肉親は離ればなれになり、命からがら逃げのびては来たものの、余震はつづき、大火は黒煙を噴き上げて迫ってくる、という状況の中で、群衆は食物を求め、水を求め、親は子を、子は親を、そして兄弟、姉妹がお互いに捜しあって、これらの広場、公園に集まっても、収拾のつかない大混乱におちいっていたのである。
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