乙巳五条約3
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/13 21:10 投稿番号: [6646 / 10735]
植民地支配の法的責任を問う
まず、条約形式の問題について。
当時の国際法の慣習と学説において、保護条約のような国家の安危に直接関連する重大な条約は、批准を必要とする「正式条約」の体裁を取らなければならないと一般に認識されていた。日本が「乙巳五条約」締結で、批准条約形式でなく、略式条約形式をとったのは、韓国朝廷と民衆の反抗を予想し、手っ取り早く条約を成し遂げようとしたためであった。列国の保護条約が批准条約であったことを考えるとこれは、破格の例であった。日本の条約史の特徴のひとつに、条約内容と条約形式の不一致がある。条約内容の重大性にもかかわらず、それとは逆に略式条約形式を取っているのである。こうした特徴は、日本における国際法の発達が国家政策の実行と密接に関連していることに由来する。日本の国際法学の多くは、国家の実行を学説として追認し、法的に正当化しようとしたのである。
次に、強制性の問題について。
「乙巳五条約」の法的効力を論じる場合、条約形態は形式であり、軍事的強制は内容である。それゆえに強制性の問題が基本的かつ本質的なものとなる。同条約の強制性問題において、現在焦点となっている論点は、高宗皇帝の裁可があったのか、なかったのかという問題である。
原田環、海野福寿両氏は、これまで「乙巳五条約」研究において基本史料として使っていた日本側公式記録「韓国特派大使伊藤博文復命書」(天皇に提出する事業経過報告)にとどまらず、韓国側公式記録である「五大臣上疏文」の分析を通じて、①「乙巳五条約」の協商は高宗皇帝が主導し、彼の裁可を得て条約は締結された、②1905年12月16日に提出した五大臣連名の上疏(売国奴の汚名を着せられたことに対して「乙巳五賊」が皇帝に送った抗議文)に対する皇帝の批答は慰労を主な内容としており上疏を斥けていない、と主張した。
4に続きます。
これは メッセージ 6645 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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