中日、聖徳太子への認識の啓蒙開始1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/10 18:11 投稿番号: [6604 / 10735]
書き換わる聖徳太子像
週のはじめに考える
2008年2月10日
実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。
聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入りさせていった皇太子です。
「和を以て貴しと為す」との教えや貧しい者への優しい眼差(まなざ)し、太子の言葉とされる「世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」の無常観などは、いまも人の心にしみて揺さぶります。
常識になった非実在
もっとも、一時に八人の訴えを聞いて誤りなく裁いたことから、八耳皇子(やつみみのみこ)と呼ばれたとの伝承や生まれたときから言葉を話し高僧の悟りに達していたとの伝説、その未来予知能力や中国の高僧の生まれ変わりで、最澄は玄孫などの輪廻(りんね)転生の説話などには訝(いぶか)しさを感じさせるものではありました。
誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。
聖徳太子の実在に最後のとどめを刺したとされるのが、大山誠一中部大学教授の一九九六年からの「長屋王家木簡と金石文」「聖徳太子の誕生」「聖徳太子と日本人」などの一連の著書と論文、それに同教授グループの二〇〇三年の研究書「聖徳太子の真実」でした。
日本書紀に政治意図
それらによると、聖徳太子研究で最も重視すべきは、日本書紀が太子作として内容を記す「十七条憲法」と「三経義疏(さんぎょうのぎしょ)」。数多くの伝承や資料のうち太子の偉大さを示す業績といえば、この二つに限られるからだそうです。
このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を追われたのは有名です。
三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。
世に知られた法隆寺の釈迦(しゃか)三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿(てんじゅ)国●帳(こくしゅうちょう)も、その光背の銘文研究や使用されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになってきました。
2に続きます。
2008年2月10日
実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。
聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入りさせていった皇太子です。
「和を以て貴しと為す」との教えや貧しい者への優しい眼差(まなざ)し、太子の言葉とされる「世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」の無常観などは、いまも人の心にしみて揺さぶります。
常識になった非実在
もっとも、一時に八人の訴えを聞いて誤りなく裁いたことから、八耳皇子(やつみみのみこ)と呼ばれたとの伝承や生まれたときから言葉を話し高僧の悟りに達していたとの伝説、その未来予知能力や中国の高僧の生まれ変わりで、最澄は玄孫などの輪廻(りんね)転生の説話などには訝(いぶか)しさを感じさせるものではありました。
誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。
聖徳太子の実在に最後のとどめを刺したとされるのが、大山誠一中部大学教授の一九九六年からの「長屋王家木簡と金石文」「聖徳太子の誕生」「聖徳太子と日本人」などの一連の著書と論文、それに同教授グループの二〇〇三年の研究書「聖徳太子の真実」でした。
日本書紀に政治意図
それらによると、聖徳太子研究で最も重視すべきは、日本書紀が太子作として内容を記す「十七条憲法」と「三経義疏(さんぎょうのぎしょ)」。数多くの伝承や資料のうち太子の偉大さを示す業績といえば、この二つに限られるからだそうです。
このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を追われたのは有名です。
三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。
世に知られた法隆寺の釈迦(しゃか)三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿(てんじゅ)国●帳(こくしゅうちょう)も、その光背の銘文研究や使用されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになってきました。
2に続きます。
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