陳美子
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/02/24 13:49 投稿番号: [4282 / 10735]
京都大学総長
長尾真
様
前略
突然お手紙を差し上げる失礼をどうぞお許し下さい。
「民族学校出身者の国立大学受験資格」の問題でいてもたってもおられずお手紙しました。
私は、朝鮮の学校で民族教育を受けた在日3世です。
朝鮮の文化や歴史に誇りを持ち、また日本の文化や文学のすばらしさに感銘を覚える者の一人です。
そして何よりも3人の子供を朝鮮の学校に通わせながら、その幸せを願うオモニの一人です。
いつも私たち在日朝鮮人の民族教育に深いご理解と多大なるご協力を下さる総長様を始め京都大学の諸先生方に心から敬意を表し、御礼申し上げます。
民族差別やいわれなき非難が多いこの日本において京都大学は他の国立大学に先駆けて大学院レベルでの外国人卒業生に対する門戸を開いて下さいました。
そして民族学校出身者の国立大学受験資格に関しても貴大学同和人権問題委員会が小委員会を設置、具体的な対処を講じられ、「最終報告書」の中で歴史的観点からも、人権という観点からも、教育の国際化という観点からも外国人学校出身者の受験資格を認める事が適当であると結論づけられました。
私は、京大の広報を通してこの事を知り大きな希望と勇気を持つことができました。
しかしアジア系民族学校出身者には認めないという文部科学省の対応は(一時凍結したものの)全く時代に逆行したものと言わざるを得ません。
私は、やり切れぬ悲しさと悔しさに身が震えてなりません。
いつの世も何処の国においても子を想う母の心は同じであると思います。
我が子が健やかに育つことを喜びとし、その未来が明るく輝かしいものであれと、苦労をもいとわない…私たち在日の母もそんな存在です。
でもたったひとつ違うとすればいつも闘うことを強いられて来た事でしょうか。
国を奪われ、故郷を追われ、他国である日本で住まねばならなかった私たちは、差別や貧困、迫害と屈辱というものと闘って勝たねば、この国で生きることを許してもらえませんでした。
そんな私たちだからこそ、子供の未来は自由で平等で人と人が互いに認め合い、学び合う世の中であってほしいと切に願ってきました。
それがそんなに贅沢な事でしょうか。
朝鮮人としての誇りを持ちながら、日本の友達の中で共に学びたいという事が、ただ大学に入る試験を受けさせてほしいと願うことが大それた要求なのでしょうか。
この度の文部科学省のやり方は、人として悲しくてなりません。
折しも、テレビ・ラジオで連日の如く流される「朝鮮バッシング報道」等、私たち在日朝鮮人を取巻く社会風潮は日増しに険悪化し、日本で子供たちを育てて行く上で、私たちの不安はつのるばかりです。
こんな流れの中で「大学受験資格認めず」という見出しに、私たち在日の母たちは身が凍る思いを感じました。
私たちは、我が子にまで闘うことを教えなければいけないのでしょうか。
手と手をつなぎ認め合い共に世界へはばたく望みは無くなるのでしょうか。
一体全体子供の未来をこんなやり方で踏みにじる文部科学省が教育や芸術、文化を扱う一国の行政官庁といえるのでしょうか。
私の祖父は、日本の植民地支配により海を渡ってこの地で働かざるをえませんでした。
祖父のまわりにも強制連行により日本に来た人たちばかりでした。
私たち在日朝鮮人は、日本人によって連れてこられた子孫であり、末裔たちなのです。
そんな私たちは、謝罪はおろか補償も受けられず、子供の未来まで奪われようとしています。
何卒私たちの悲しい過去が繰り返されないように、日本の方々の勇気ある声援をお願いいたします。
独自色を明確にし、伝統的な「自由の学風」を広めてこられた、京都大学総長殿の熱き一言、ご英断が波紋となり全国へと広がらんことを、心より願ってやみません。
子供たちの幸せ、輝かしい未来のため、真の教育のため京都大学が先駆けとなることを固く信じております。
乱筆乱文失礼します。
草々
陳美子(在日朝鮮人の一母より)
この陳という女は最新の新報で「日本語の源はウリマル」というトンデモ説の流布を図っております。
前略
突然お手紙を差し上げる失礼をどうぞお許し下さい。
「民族学校出身者の国立大学受験資格」の問題でいてもたってもおられずお手紙しました。
私は、朝鮮の学校で民族教育を受けた在日3世です。
朝鮮の文化や歴史に誇りを持ち、また日本の文化や文学のすばらしさに感銘を覚える者の一人です。
そして何よりも3人の子供を朝鮮の学校に通わせながら、その幸せを願うオモニの一人です。
いつも私たち在日朝鮮人の民族教育に深いご理解と多大なるご協力を下さる総長様を始め京都大学の諸先生方に心から敬意を表し、御礼申し上げます。
民族差別やいわれなき非難が多いこの日本において京都大学は他の国立大学に先駆けて大学院レベルでの外国人卒業生に対する門戸を開いて下さいました。
そして民族学校出身者の国立大学受験資格に関しても貴大学同和人権問題委員会が小委員会を設置、具体的な対処を講じられ、「最終報告書」の中で歴史的観点からも、人権という観点からも、教育の国際化という観点からも外国人学校出身者の受験資格を認める事が適当であると結論づけられました。
私は、京大の広報を通してこの事を知り大きな希望と勇気を持つことができました。
しかしアジア系民族学校出身者には認めないという文部科学省の対応は(一時凍結したものの)全く時代に逆行したものと言わざるを得ません。
私は、やり切れぬ悲しさと悔しさに身が震えてなりません。
いつの世も何処の国においても子を想う母の心は同じであると思います。
我が子が健やかに育つことを喜びとし、その未来が明るく輝かしいものであれと、苦労をもいとわない…私たち在日の母もそんな存在です。
でもたったひとつ違うとすればいつも闘うことを強いられて来た事でしょうか。
国を奪われ、故郷を追われ、他国である日本で住まねばならなかった私たちは、差別や貧困、迫害と屈辱というものと闘って勝たねば、この国で生きることを許してもらえませんでした。
そんな私たちだからこそ、子供の未来は自由で平等で人と人が互いに認め合い、学び合う世の中であってほしいと切に願ってきました。
それがそんなに贅沢な事でしょうか。
朝鮮人としての誇りを持ちながら、日本の友達の中で共に学びたいという事が、ただ大学に入る試験を受けさせてほしいと願うことが大それた要求なのでしょうか。
この度の文部科学省のやり方は、人として悲しくてなりません。
折しも、テレビ・ラジオで連日の如く流される「朝鮮バッシング報道」等、私たち在日朝鮮人を取巻く社会風潮は日増しに険悪化し、日本で子供たちを育てて行く上で、私たちの不安はつのるばかりです。
こんな流れの中で「大学受験資格認めず」という見出しに、私たち在日の母たちは身が凍る思いを感じました。
私たちは、我が子にまで闘うことを教えなければいけないのでしょうか。
手と手をつなぎ認め合い共に世界へはばたく望みは無くなるのでしょうか。
一体全体子供の未来をこんなやり方で踏みにじる文部科学省が教育や芸術、文化を扱う一国の行政官庁といえるのでしょうか。
私の祖父は、日本の植民地支配により海を渡ってこの地で働かざるをえませんでした。
祖父のまわりにも強制連行により日本に来た人たちばかりでした。
私たち在日朝鮮人は、日本人によって連れてこられた子孫であり、末裔たちなのです。
そんな私たちは、謝罪はおろか補償も受けられず、子供の未来まで奪われようとしています。
何卒私たちの悲しい過去が繰り返されないように、日本の方々の勇気ある声援をお願いいたします。
独自色を明確にし、伝統的な「自由の学風」を広めてこられた、京都大学総長殿の熱き一言、ご英断が波紋となり全国へと広がらんことを、心より願ってやみません。
子供たちの幸せ、輝かしい未来のため、真の教育のため京都大学が先駆けとなることを固く信じております。
乱筆乱文失礼します。
草々
陳美子(在日朝鮮人の一母より)
この陳という女は最新の新報で「日本語の源はウリマル」というトンデモ説の流布を図っております。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafl1b2_1/4282.html