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中央日報の自爆記事

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/12/19 19:04 投稿番号: [3787 / 10735]
【噴水台】派兵

名分と実利。派兵ほど二つの間を推し量らせるものも、さほどない。

名分に命をかけた者が崔鳴吉(チェ・ミョンギル)だ。 丙子胡乱(清軍の侵略)直後の1637年9月、清の太宗は5000人を派兵せよと朝鮮(チョソン、1392〜1910)に要求した。 明を侵攻することに協力せよ、とのことだった。 崔鳴吉は「国が滅びえても決して清の要求に応じてはならない」と主張した。 清の太宗は激しく怒り崔鳴吉を呼び出した。 崔鳴吉は堂々としていた。

「いかにして、長く友好関係を維持してきた明を征伐しようとする貴国を助け、軍事を派遣することができようか。 とうてい不可能だ。 また、朝鮮は現在戦禍のため軍事を動員できる余力もない」(李肯翊『燃藜室記述』)。

清の太宗は「私を殺すことで問題を解決するように」という崔鳴吉に敬服し、しばらく派兵を求めなかった。

実利を取った者には光海君(クァンヘグン、朝鮮第15代王)がトップだ。 当時、後金にやぶれた明は朝鮮に派兵を要請した。 1618年に1万3000人の援軍を送り、光海君は都元帥・姜弘立(カン・ホンリプ)に密かに命じた。 「戦況を注意深く見て行動を決めるように(観形向背)。 明の大将の指揮に従わず、ひたすら朝鮮軍がやぶれないようにせよ」(光海君日記   137巻)。

姜弘立は翌年の戦闘で戦況が不利になると、直ちに投降した。 おかげで後金との対立を避け、国の安全を守ることができた。

実利も名分も失ったのが、高麗(コリョ、918〜1392)時代の日本遠征だ。 元の要求で2回派兵した高麗は、1回目の遠征時に兵士8000人、支援人材6700人、軍船900隻を投入した。 7年後の2回目のときは、兵士1万人と支援人材1万5000人、戦艦900隻を注入した。 派兵による高麗の負担は、国のすべての生産力を注がなければならないほど大きかった。 見返りとして戻ってきたのは、国家経済の破たんだった。

15日、レバノン派兵決議案が国会・小委員会を通過した。 今週末ごろ本会議を経て、来年初めには派兵が行なわれる予定だ。 イラク派兵とは大きく異なる。 行き先も戦闘地域であり、行く人も350人の戦闘部隊(特殊戦司令部)だ。 ただ1回の公聴会もなかったとして、市民団体は連日し反対デモだ。 あちこちの機嫌ばかりうかがっていた政界は、国連が要請した派兵時期まで逃したと不満がっている。 すでに名分と実利、どれも得がたくなった。

派兵は祖国の若い兵士を万里も離れた他国の戦場で散華させる覚悟から行なうものだ。 やらないのなら分からないが、どうせやることならば若い命に相応しい名分と実利を探さなければならない。

李政宰(イ・ジョンジェ)経済部門次長
2006.12.19 17:35:10


> 実利も名分も失ったのが、高麗(コリョ、918〜1392)時代の日本遠征だ。 元の要求で2回派兵した高麗は、

日本遠征ではなく、日本侵略でしょ!
元の要求じゃなく、自分たちが売り込んだくせに!
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