さすが朝鮮人 1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2012/11/06 16:49 投稿番号: [10672 / 10735]
2012年10月15日00:05
世の中で最も悪い行為
カテゴリ朴露子ハンギョレブログ
4拍手
原文入力:2012/10/11 19:17(3385字)
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
うちの子は私にたまに「世の中で一番悪いことは何なの?」と尋ねてきます。そんな時は彼にこう答えます。考えもせずに権威や権力に服従することこそ最も危険で悪いことだと。しかし、残念ながら、これはほとんどの社会が最も要求し最も奨励する事でもあります。
暴力が最も悪いのではないかと問い返す人ガいるかもしれませんが、場合によっては、ある種の暴力は十分理解できます。たとえば、南韓では当然(!)ほとんど知られていない人ですが、20世紀ポーランドの最も偉大な名言と諷刺の作家スタニスラブ・イエージ・レッツ(http://en.wikipedia.org/wiki/Stanis%C5%82aw_Jerzy_Lec 1909-1966)という人がいました。「悪法の世界では人々はたいてい無法を希うものだ」、「奴隷たちの夢は、市場で主人を買える状況だ」、「世界に向かう窓は新聞で塞ぐことができる」等々の格言を残した人で、戦前のポーランドで反戦運動などをした知識人でした。1950年代初頭にイスラエルに行ったものの、「特定の種族だけの国家」では到底暮らすことができず、スターリン主義下で出版なども難しいことを承知の上で自らポーランドに帰ったほどに民族主義を嫌悪した国際主義者でもありました。レッツはユダヤ人出身のうえ社会主義者でもあったため、ファッショたちによるポーランド占領時期には収容所に入れられ、逃走を試みてつかまりました。捕まえた彼を今や銃殺しようとするナチス親衛隊員は彼にシャベルを渡し、「先ずお前の墓を掘れ」と命令したのですが、レッツはまさにそのシャベルで親衛隊員を叩き殺しパルチザンたちのいる森に逃げ切りました。ナチス親衛隊員をシャベルで叩き殺したことは確かに暴力とはいえ、ナチス親衛隊の暴力性とその親衛隊員が平気で執行しようとした銃殺刑の暴力性などを考え合わせれば、レッツの暴力は果して審判することができましょうか。ナチス治下での殉教も正常な人間が選びうる一つの道ですが、ある巨大な暴力を制御するための最小限の正当防衛行為も一個人の当然の選択になりうるのです。
むしろレッツより遥かに問題なのは、何の問題意識もないままに彼を銃殺しようとしたまさにその親衛隊員です。こんな職業的な殺人者たちは果して殺人者として生まれたのでしょうか。とんでもありません。児童期にはレッツとその親衛隊員はいくらでも竹馬の友にもなりえたはずです。殺人者は生まれつきではなく、後天的な教育課程の結果です。そしてその教育課程そのものは、特定の無惨で猛烈な民族主義的思想だけで成り立っているわけでも決してないのです。もちろんナチス親衛隊員になろうとすれば、その課程の最後に超民族主義への道をを内面化しなければなりませんが、思想としてのナチズムはその教育課程の10%にすぎません。残りの90%は無意識の服従訓練です。そのような服従が完全に自動化しないかぎり、そこに「国家と民族」に必要な思想をも注入しても、立派な殺人者に仕立て上げることはできません。もちろん服従教育は必ずしも子供向けにのみ成されるわけでもありません。大人たちも特に意識せずに従わなければならない時がかなりあります。たとえば、国際空港の保安検査を考えてみましょう。ベルトを外して身体検査をさせられるのは、実はかなり人間的な尊厳を踏みにじられる行為です。しかし、私たちは果してこのような検査が本当にテロリストの制圧に効率的なのか、すなわちどれほど合目的的なのか、なぜこのような検査に何も言わず従わなければならないのかについては真剣に考えたりはしません。「合法的な権力」が要求することをそのまま無条件に、疑問を抱くこともなく行います。検査そのものはたいしたことではありませんが、ナチス親衛隊員の立場ではヒトラーが「合法的な権力」であり、レッツが今日でいう「テロリスト」のような「不穏分子」だったという点をぜひ覚えておかなければなりません。
2に続きます。
世の中で最も悪い行為
カテゴリ朴露子ハンギョレブログ
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原文入力:2012/10/11 19:17(3385字)
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
うちの子は私にたまに「世の中で一番悪いことは何なの?」と尋ねてきます。そんな時は彼にこう答えます。考えもせずに権威や権力に服従することこそ最も危険で悪いことだと。しかし、残念ながら、これはほとんどの社会が最も要求し最も奨励する事でもあります。
暴力が最も悪いのではないかと問い返す人ガいるかもしれませんが、場合によっては、ある種の暴力は十分理解できます。たとえば、南韓では当然(!)ほとんど知られていない人ですが、20世紀ポーランドの最も偉大な名言と諷刺の作家スタニスラブ・イエージ・レッツ(http://en.wikipedia.org/wiki/Stanis%C5%82aw_Jerzy_Lec 1909-1966)という人がいました。「悪法の世界では人々はたいてい無法を希うものだ」、「奴隷たちの夢は、市場で主人を買える状況だ」、「世界に向かう窓は新聞で塞ぐことができる」等々の格言を残した人で、戦前のポーランドで反戦運動などをした知識人でした。1950年代初頭にイスラエルに行ったものの、「特定の種族だけの国家」では到底暮らすことができず、スターリン主義下で出版なども難しいことを承知の上で自らポーランドに帰ったほどに民族主義を嫌悪した国際主義者でもありました。レッツはユダヤ人出身のうえ社会主義者でもあったため、ファッショたちによるポーランド占領時期には収容所に入れられ、逃走を試みてつかまりました。捕まえた彼を今や銃殺しようとするナチス親衛隊員は彼にシャベルを渡し、「先ずお前の墓を掘れ」と命令したのですが、レッツはまさにそのシャベルで親衛隊員を叩き殺しパルチザンたちのいる森に逃げ切りました。ナチス親衛隊員をシャベルで叩き殺したことは確かに暴力とはいえ、ナチス親衛隊の暴力性とその親衛隊員が平気で執行しようとした銃殺刑の暴力性などを考え合わせれば、レッツの暴力は果して審判することができましょうか。ナチス治下での殉教も正常な人間が選びうる一つの道ですが、ある巨大な暴力を制御するための最小限の正当防衛行為も一個人の当然の選択になりうるのです。
むしろレッツより遥かに問題なのは、何の問題意識もないままに彼を銃殺しようとしたまさにその親衛隊員です。こんな職業的な殺人者たちは果して殺人者として生まれたのでしょうか。とんでもありません。児童期にはレッツとその親衛隊員はいくらでも竹馬の友にもなりえたはずです。殺人者は生まれつきではなく、後天的な教育課程の結果です。そしてその教育課程そのものは、特定の無惨で猛烈な民族主義的思想だけで成り立っているわけでも決してないのです。もちろんナチス親衛隊員になろうとすれば、その課程の最後に超民族主義への道をを内面化しなければなりませんが、思想としてのナチズムはその教育課程の10%にすぎません。残りの90%は無意識の服従訓練です。そのような服従が完全に自動化しないかぎり、そこに「国家と民族」に必要な思想をも注入しても、立派な殺人者に仕立て上げることはできません。もちろん服従教育は必ずしも子供向けにのみ成されるわけでもありません。大人たちも特に意識せずに従わなければならない時がかなりあります。たとえば、国際空港の保安検査を考えてみましょう。ベルトを外して身体検査をさせられるのは、実はかなり人間的な尊厳を踏みにじられる行為です。しかし、私たちは果してこのような検査が本当にテロリストの制圧に効率的なのか、すなわちどれほど合目的的なのか、なぜこのような検査に何も言わず従わなければならないのかについては真剣に考えたりはしません。「合法的な権力」が要求することをそのまま無条件に、疑問を抱くこともなく行います。検査そのものはたいしたことではありませんが、ナチス親衛隊員の立場ではヒトラーが「合法的な権力」であり、レッツが今日でいう「テロリスト」のような「不穏分子」だったという点をぜひ覚えておかなければなりません。
2に続きます。
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