ソウルの飲み屋のツケ帳簿2
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/07/30 07:05 投稿番号: [4253 / 6487]
帳簿に書かれていた機関は71カ所で、経済企画院や文教部・ソウル市庁など25の公共機関、朝鮮日報・東亜日報・ソウル新聞・東洋放送・文化放送など22のメディア、ソウル大・延世大・高麗大・梨花女子大など16の大学、そして朝興銀行(現・新韓銀行)などの金融機関が記されている。帳簿に記載された常連客は300人に上り、ツケの額は大体1000−3000ウォン(当時の通貨単位はファン)だった。1万ウォンを超えると、食事の後、代表者一人の名前で飲み代をツケていたものとみられる。
ツケ帳簿は当時の無限の信頼と人間味を思い起こさせる。すでにツケがたまっている客や決まった稼ぎがない浪人生にまでツケ飲みを許し、「割賦返済」すら可能だったことが記録されているからだ。帳簿には「弼雲洞の遊び人」「ハマグリ好き」といった暗語が記載されていたり、ツケの内訳を追ってみると、特定の人物が職場を移り渡る経路を把握することができ滑稽だ。
この貴重な記録を最後の社長イさんから譲り受けて大切に保管してきた人物が、戯曲・放送作家であり、この店の常連だった者成鉉(チョ・ソンヒョン)=67=だ。者成鉉は「貴重な民間商業史として価値があると思い、“イ社長、大切に保管しておきなさい”なんてぶしつけなお願いをしたが、ありがたいことに、わたしに譲ってくれた」と語った。当時の言論人・趙徳松(チョ・ドクソン)や李元洪(イ・ウォンホン)も帳簿を欲しがり、取り合いになる寸前だったという。
「はげ頭屋」は部屋二つと中庭にテーブルがあり、客50人でいっぱいになる韓屋(韓国の伝統家屋)の造りだったが、後にコンクリートで改造されたという。しかし、70年代に経済状況が良くなり、客の懐に金が入るようになると、衰退の道をたどったようだ。
者成鉉は「光化門一帯で働いていた言論人らが交遊した文化の客間で、特ダネ記事を分け合ったりするなど、情感あふれる場所だった」と当時を懐かしんだ。俳優のペク・イルソプは「あそこの客たちは主に落ち着いた年ごろの学を積んだ、本当の酒好きたちだった。当時若かった自分は無駄に気後れしたり、厳粛な気分がして大声も出せなかった。立派な作品が胎動していた空間だった」と語った。
ツケ帳簿は全部で3冊。1冊は店の保管用、もう2冊は集金のための携帯用だったとみられる。集金を引き受けたイ社長と彼より10歳ほど年上の妻のいとこが、給料日に合わせて朝鮮日報と東亜日報方面に分かれて集金していたという。
なお、ソウル歴史博物館は明月屋社長の家族を方々で探したが、見つからなかったという。この資料は30日から9月20日まで開催される「光化門年歌:時計の針を戻す」と題した展示会で閲覧することができる。
パク・ヨンソク記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
南朝鮮では、蒲田も錦糸町も新川も駄目か・・・
だから、在日は帰れないんだな。
ツケ帳簿は当時の無限の信頼と人間味を思い起こさせる。すでにツケがたまっている客や決まった稼ぎがない浪人生にまでツケ飲みを許し、「割賦返済」すら可能だったことが記録されているからだ。帳簿には「弼雲洞の遊び人」「ハマグリ好き」といった暗語が記載されていたり、ツケの内訳を追ってみると、特定の人物が職場を移り渡る経路を把握することができ滑稽だ。
この貴重な記録を最後の社長イさんから譲り受けて大切に保管してきた人物が、戯曲・放送作家であり、この店の常連だった者成鉉(チョ・ソンヒョン)=67=だ。者成鉉は「貴重な民間商業史として価値があると思い、“イ社長、大切に保管しておきなさい”なんてぶしつけなお願いをしたが、ありがたいことに、わたしに譲ってくれた」と語った。当時の言論人・趙徳松(チョ・ドクソン)や李元洪(イ・ウォンホン)も帳簿を欲しがり、取り合いになる寸前だったという。
「はげ頭屋」は部屋二つと中庭にテーブルがあり、客50人でいっぱいになる韓屋(韓国の伝統家屋)の造りだったが、後にコンクリートで改造されたという。しかし、70年代に経済状況が良くなり、客の懐に金が入るようになると、衰退の道をたどったようだ。
者成鉉は「光化門一帯で働いていた言論人らが交遊した文化の客間で、特ダネ記事を分け合ったりするなど、情感あふれる場所だった」と当時を懐かしんだ。俳優のペク・イルソプは「あそこの客たちは主に落ち着いた年ごろの学を積んだ、本当の酒好きたちだった。当時若かった自分は無駄に気後れしたり、厳粛な気分がして大声も出せなかった。立派な作品が胎動していた空間だった」と語った。
ツケ帳簿は全部で3冊。1冊は店の保管用、もう2冊は集金のための携帯用だったとみられる。集金を引き受けたイ社長と彼より10歳ほど年上の妻のいとこが、給料日に合わせて朝鮮日報と東亜日報方面に分かれて集金していたという。
なお、ソウル歴史博物館は明月屋社長の家族を方々で探したが、見つからなかったという。この資料は30日から9月20日まで開催される「光化門年歌:時計の針を戻す」と題した展示会で閲覧することができる。
パク・ヨンソク記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
南朝鮮では、蒲田も錦糸町も新川も駄目か・・・
だから、在日は帰れないんだな。
これは メッセージ 4252 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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