Re: 味・調理法にグローバル化の可能性
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2009/04/07 18:03 投稿番号: [3804 / 6487]
辻氏が言う、「つまりどうしたいのか?」は、万事にあてはまりますね。(特に朝鮮がらみのホルホル記事を読んでいると、そう感じます。)
ハイブリッド車の記事なんかもそうです。
強引にLPG燃料でハイブリッドなんかを作って(いかも、まだまだ市販には漕ぎ付けられず)、やれ「イルボン車より燃費がいいニダ」なんて言っても、一度も「LPGスタンドもン年までに普及するから、問題ない」という記述には、出食わさない。
およそそんなクルマの事をイイと思っているとは感じられない。
クルマも料理も、或いは他のものでも、とにかく「イルボン」ばかりを念頭に置くから、そこから悶々とした「鬱火病」になるわけです。
イルボンがらみの「相対」を忘れて、さてどうしたいのか、どうありたいのか、という「絶対」が無いのが、朝鮮なんですねえ。
料理なんて好き好きですから、誰が何を好もうが、それは自由です。
ワタシは、東亜さんが言う「朝鮮料理はB級料理としての気楽な美味さがある。ムリして肩肘張ったA級料理として売り出そうとする必要は無い」という意見に賛成です。
そして、売れそうも無いものをムリして売ろうとしなくてもいいのにと思いますよ。
ワタシは納豆が大好きですが、あれを外国人に押し付けるなんて、そんな事間違っても出来ませんし。
かつて、「ズームイン朝」のウィッキーさんちの近所で、くさやを焼いている家があって、ご近所さんらが、「ウィッキーさん、あのにおいはくさやっていって、食べ物なんですよ」と心配して説明してくれたと。
たまたまウィッキーさんはくさやが好きだったから問題は無かったそうですけど、そういう気遣いが朝鮮人にあるかというと、無いでしょう。
結局、料理って、そういう民族性も反映されるものですからね。
これは メッセージ 3802 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafbfa9a4yjaacl5a_1/3804.html