朝鮮食べ物談義

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日本が生魚を世界に食べさせるまで2

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/01/27 16:17 投稿番号: [2379 / 6487]
■すしが手ごろな“つまみ”から高級料理になるまで

  その昔、日本人は塩漬けにした魚をご飯と幾重にも重ね、発酵させた物を食べた。19世紀、江戸(現在の東京)に住んでいた華屋与兵衛(1799‐1858)という商人が、新鮮な魚の切り身をご飯に載せて売ったことから、初めて現在のすしの形が生まれた。
  当時のすしは庶民が仕事や銭湯の帰り道に屋台で二つ三つつまむ「ファーストフード」だった。すしが高級料理になるには、冷蔵技術の発達をはじめいくつかのきっかけが必要だった。1939年、日本政府は「衛生上よくない」という理由から屋台を一斉に閉鎖させたのが、すしが発展するきっかけを作った。屋台ではなく店での営業が増え、客は座り、職人は立って握ることで、すしがより発展した。戦後の日本経済復興が進むにつれ、日本商社の駐在員たちは米ロサンゼルスですしを紹介した。60年代に自然食ブームが起き、芸能界のスターや高所得者らがすしに魅了されていった。

■すしの味はどのように進化したのか  

  アイゼンバーグ氏は「よくすしは伝統の象徴だと言われるが、すしの味は絶えず進化してきた」という。それをよく示しているのが、「ノブ」と呼ばれるカリスマすし職人の松久信幸氏(58)だ。
  埼玉県出身のノブは、新宿のすし屋で5年間修行した後、23歳のときにふらりとペルーに向かった。ノブはアルゼンチン・アメリカ・アラスカなど海外の日本料理店を回り、十数年間さらに修行を積みロサンゼルスに店を開いた。
  「ほかの大陸に旅立つことは、野心を燃やし若い職人が日本のすし社会の階級制度を抜け出すための唯一の方法だった。ノブは“浪人”としてグローバル経済に飛び込んだのだ」(147ページ)
  ノブはまな板の上で伝統と現代、日本と世界を結び付けた。カレイに熱い油を注いだ「ニュースタイルの刺身」がその例だ。外側は熱くて火が通っているが、中は冷たく舌触りのいい無国籍風料理に、生ものが食べられないアメリカ人は夢中になった。
  レストラン王になったノブを、アイゼンバーグ氏は「居場所のない“浪人”から“大名”になった」と表現する。焼肉で世界を制覇しようとする韓国人料理人に、ノブの歩みはいい参考になるかもしれない。

初めの方に写真がありますが、それ見ると、このアイ某とノブがインチキというのが判ります。
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