ホンタク放言女史の新作
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/10/22 09:51 投稿番号: [140 / 6487]
平壌出身のおばあちゃんとテジクッパプ
2006年10月14日
テジクッパプ(豚肉の汁かけ飯)という料理に関心をもち、1年ほど前から釜山や晋州、密陽の専門店を食べ歩いてきました。韓国では豚でダシをとったスープの匂いに抵抗を感じる人が多いにもかかわらず、慶尚南道の一部ではよく食べられていること、朝鮮戦争のときに北側から避難してきた人が持ち込んだといわれていることなど、興味深い点が多々あり、そのルーツを探ってみたくなったのです。
チェおばあさんが守り続けたテジクッパプ ※『韓国の美味しい町』(光文社)より
厨房の隣りの部屋で休んでいた頃のチェおばあさん。享年84歳
結局、「避難民たちが故郷の料理を釜山で再現した」「避難民たちが故郷のスンデクッパプを釜山で再現していたが、スンデ(腸詰め)が入手しにくくなると豚肉で代用した」「韓国の市場では牛肉のクッパプがよく食べられていたが、牛肉が高価で手に入りにくくなると豚肉で代用した」など諸説があり、どれが創始なのかまだ解明し切れていません。
ルーツ探しはさておき、私がいちばん気に入ったのは、釜山の凡一洞(ポミルドン)にある「ハルメ・クッパプチプ」です。西面のテジクッパプ横町では豚肉を半日以上煮込むので、スープが白濁しているのですが、この店では3時間程度なので半透明。コクが出る代わりに豚の匂いも出てしまう他店と違い、スープは上品で後味もよかったのです。
そして、味とともに印象深かったのが、54年前にこの店を開いたハルメ(釜山方言で、おばあちゃん)、チェ・スンボクさん。チェさんは平壌の生まれで、船長だったご主人とともに2人の子どもを連れて27歳のとき釜山に来た朝鮮戦争避難民のひとりです。
「平壌ではわりと豊かな家だったから、釜山に来てからのテント暮らしには苦労したよ。2、3カ月待てば平壌に帰れると思っていたんだけど、あっというまに50年以上経ってしまったね。夫は釜山に来てからビリヤード場や喫茶店に入り浸りだったから、私が闇米の売買をしたり、がむしゃらに働いたよ。休戦になっても故郷には帰れないから、テジクッパプ屋を始めたんだ。当時は無銭飲食も多くてね。本当にひもじいならともかく、ヤクザや騙りの記者にもそんな人がいてね。追いかけ回してお金を払わせたもんだよ。幸いクッパプがよく売れたんで、こうして店を続けてこれた。古くからの常連さんも多くて、ありがたいことだね。最近は身体の具合が悪いから嫁に店をまかせているんだけど、今もスープの味が気になって眠れないことがあるよ」
気丈なチェさんですが、今年の春に腸閉塞を起こしかけていたにもかかわらず、身体にメスが入ることを拒み続け、先月とうとう亡くなってしまいました。病なんて気力で治せる。困難な時代を生き抜いて来たチェさんはそう信じていたのかもしれません。
「辛かったことかい? 平壌から連れてきた長男が軍隊での事故で死んだことだね。頭が良くて男前だったんだけど……」
戦争によって故郷を失い、長男を軍隊で失っても、家族を支え続けたチェさん。私の母親も北側の黄海道からの避難民だったので、身につまされてしまいます。入院もせず、厨房の隣りの部屋で休んでいたチェさんは、故郷平壌を懐かしがっていたと思われますが、同時に北朝鮮の不穏な動きを伝える最近のニュースに心を痛めていたにちがいありません。
朝鮮半島の平和を願いつつ、チェさんのご冥福をお祈りいたします。
http://www.asahi.com/international/seoul/TKY200610140163.html
>当時は無銭飲食も多くてね。本当にひもじいならともかく、ヤクザや騙りの記者にもそんな人がいてね。
記者はヤクザと同じか・・・納得するな。
2006年10月14日
テジクッパプ(豚肉の汁かけ飯)という料理に関心をもち、1年ほど前から釜山や晋州、密陽の専門店を食べ歩いてきました。韓国では豚でダシをとったスープの匂いに抵抗を感じる人が多いにもかかわらず、慶尚南道の一部ではよく食べられていること、朝鮮戦争のときに北側から避難してきた人が持ち込んだといわれていることなど、興味深い点が多々あり、そのルーツを探ってみたくなったのです。
チェおばあさんが守り続けたテジクッパプ ※『韓国の美味しい町』(光文社)より
厨房の隣りの部屋で休んでいた頃のチェおばあさん。享年84歳
結局、「避難民たちが故郷の料理を釜山で再現した」「避難民たちが故郷のスンデクッパプを釜山で再現していたが、スンデ(腸詰め)が入手しにくくなると豚肉で代用した」「韓国の市場では牛肉のクッパプがよく食べられていたが、牛肉が高価で手に入りにくくなると豚肉で代用した」など諸説があり、どれが創始なのかまだ解明し切れていません。
ルーツ探しはさておき、私がいちばん気に入ったのは、釜山の凡一洞(ポミルドン)にある「ハルメ・クッパプチプ」です。西面のテジクッパプ横町では豚肉を半日以上煮込むので、スープが白濁しているのですが、この店では3時間程度なので半透明。コクが出る代わりに豚の匂いも出てしまう他店と違い、スープは上品で後味もよかったのです。
そして、味とともに印象深かったのが、54年前にこの店を開いたハルメ(釜山方言で、おばあちゃん)、チェ・スンボクさん。チェさんは平壌の生まれで、船長だったご主人とともに2人の子どもを連れて27歳のとき釜山に来た朝鮮戦争避難民のひとりです。
「平壌ではわりと豊かな家だったから、釜山に来てからのテント暮らしには苦労したよ。2、3カ月待てば平壌に帰れると思っていたんだけど、あっというまに50年以上経ってしまったね。夫は釜山に来てからビリヤード場や喫茶店に入り浸りだったから、私が闇米の売買をしたり、がむしゃらに働いたよ。休戦になっても故郷には帰れないから、テジクッパプ屋を始めたんだ。当時は無銭飲食も多くてね。本当にひもじいならともかく、ヤクザや騙りの記者にもそんな人がいてね。追いかけ回してお金を払わせたもんだよ。幸いクッパプがよく売れたんで、こうして店を続けてこれた。古くからの常連さんも多くて、ありがたいことだね。最近は身体の具合が悪いから嫁に店をまかせているんだけど、今もスープの味が気になって眠れないことがあるよ」
気丈なチェさんですが、今年の春に腸閉塞を起こしかけていたにもかかわらず、身体にメスが入ることを拒み続け、先月とうとう亡くなってしまいました。病なんて気力で治せる。困難な時代を生き抜いて来たチェさんはそう信じていたのかもしれません。
「辛かったことかい? 平壌から連れてきた長男が軍隊での事故で死んだことだね。頭が良くて男前だったんだけど……」
戦争によって故郷を失い、長男を軍隊で失っても、家族を支え続けたチェさん。私の母親も北側の黄海道からの避難民だったので、身につまされてしまいます。入院もせず、厨房の隣りの部屋で休んでいたチェさんは、故郷平壌を懐かしがっていたと思われますが、同時に北朝鮮の不穏な動きを伝える最近のニュースに心を痛めていたにちがいありません。
朝鮮半島の平和を願いつつ、チェさんのご冥福をお祈りいたします。
http://www.asahi.com/international/seoul/TKY200610140163.html
>当時は無銭飲食も多くてね。本当にひもじいならともかく、ヤクザや騙りの記者にもそんな人がいてね。
記者はヤクザと同じか・・・納得するな。
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