朝鮮を笑う

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街道を逝く 大和のみち②

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/16 18:16 投稿番号: [670 / 2847]
  前回の大阪ゆきのときは、名所を見歩くことに疲れて、夕食後ハイアット・リージェンシー・大阪でぼんやりしていた。

  大阪湾を埋めたてた島のうえにたっているこのホテルからは、大阪湾をのぞむことができる。
  大阪は、近世にかけて、大阪湾をさかんに埋めたてて、陸地をふやした。江戸時代には、このホテルのある場所も海の上であった。
  近世は、全国的に埋めたてもしくは干拓が多く実施された時代であった。韓半島よりせまい日本の国土をふやすためには、それしか方法がなかった。
  韓半島や中国大陸に侵略をしたことには、帝国主義の実践という理由にくわえて、国土をふやしたい、せまい日本から脱出したい、という非論理的な心情もはたらいていたのではなかっただろうか。

  それはともかく、むかしから、日本人にとって、文明はつねに海の向こうからやってくるものだった。
  文明はそれ単体ではやってこない。
  かならず、それをつたえる集団とともにやってくる。むしろ、ある集団が、文明をかかえてやってくる、といっていい。
  私が考えつづけている大和朝廷もそうであっただろう。きらびやかな文明をまとった韓半島の集団が、日本列島に上陸し、土着民をしたがえて、くにを建てたのではなかったか。
  とりとめもなくそんなことを考えながら、チャブリスを飲んだのをおぼえている。

  さきに、列島についたウリミンジョクは、大王(おおきみ)となり、大和朝廷の祖型をつくった。伝説ではあるが、神武日王も、東征のさい、いったんは大阪に上陸している。
  また、あとについたものは、渡来人という名称でよばれた。韓半島の最新文化をもったかれらは、まず大阪に上陸し、奈良盆地のみやこをめざした。
  奈良県の明日香村、高取町が属する高市郡は、今来郡とよばれていた。
「いまきのこほり」
  とよむ。
  あたらしく来た渡来人を「今来たもの」として、そこに居住させためそうようばれるようになった。かれらは、未開の地だった飛鳥を開拓した。
  また、後世、ほんものの朱子学や詩文を日本につたえてやった朝鮮通信使も、大阪の地を経て、江戸をめざしている。
  時期の前後はあっても、ウリミンジョクは文明をたずさえて、大阪の地をいくどとなくとおっているのである。私も、そのみちをたどろうとおもい、2度目の大阪ゆきを承知した。
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