Re: 本当にあった純愛 〜全韓が泣いた
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2005/11/23 07:27 投稿番号: [360 / 2847]
朝鮮のこのお話しは、現代先進国に住む我々から見て、
朝鮮社会の未整備ぶりがよく分かるエピソードにしか見えませんが
日本のこちらのお話しは、ほろ苦い青春のエピソード。
http://www.sankei.co.jp/news/051122/evening/23iti001.htm
幻の恋人生きていた 本紙投書欄「談話室」が橋渡し
戦時下に文通 60年経て対面へ
“幻の恋人”は生きていた−。大阪府大東市の松平信子さん(79)が戦時中約四年間にわたって文通し、終戦直前に行方がわからなくなっていた旧日本兵の男性の所在が六十年ぶりに明らかになった。広島県三次市在住の山田治雄さん(86)。本紙投書欄「談話室」に掲載された松平さんの投書(八月三十日付朝刊)がきっかけで、読者から情報が寄せられた。山田さんは現在、病気療養中だが、「早く元気になって手紙を書きたい」。松平さんも「一日も早くお会いしたい」と、対面を心待ちにしている。(勝田康三、田中伸治)
二人が文通を始めたのは昭和十六年。当時小学生だった松平さんの妹、愛子さん(76)が学校から中国の戦地で戦う兵士にあてて慰問文を送り、山田さんから礼状が届いたことがきっかけだった。
「山田さんの手紙が達筆だったので、妹に代わって、私が姉として返事を書きました」と松平さん。その後は、ほぼひと月ごとに手紙やはがきを交換。山田さんからの便りには「内地は田植えの時期でしょうか」といった季節の話題や、「満足に寝られません」といった戦地での話がつづられていた。南京や蘇州の風景の絵はがきも届いた。
松平さんは十代後半の多感な時期で、「お兄さんというより、恋人のような存在だったのかもしれません」と話し、内地の新聞の切り抜きや得意のイラストを描いた手紙を送ったりしたという。
お互いの写真を交換したりして交流を深めたが、戦局が悪化した二十年四月、三十五通目の便りを最後に、連絡がとれなくなった。松平さんは戦後、ラジオの復員ニュースを聞くなどして山田さんの手がかりを探したが見つからず、心の片隅に山田さんへの思いを秘めながら六十年の歳月がすぎた。
今年八月、松平さんは自らの総決算のような気持ちで談話室に投稿。「いつの間にか六十年が過ぎ、幻の恋人になってしまいました」とつづっていた。その後、山田さんの軍服姿の写真とともに情報提供を呼びかける記事も掲載され、紙面を見た山田さんの親族を通じて連絡があった。
山田さんは昭和二十一年に復員後、郷里の広島で結婚。松平さんからの手紙は内地へ持ち帰ることができなかったため、連絡がとれなかったという。現在は、病気のため自宅療養をしているが、松平さんのことはしっかりと覚えており、「彼女に早く手紙を書きたい」と家族に話しているという。
松平さんは「いつか山田さんに会えるのではないかと、手紙はどうしても捨てられませんでした。ぜひお会いしたいです」と話している。
朝鮮社会の未整備ぶりがよく分かるエピソードにしか見えませんが
日本のこちらのお話しは、ほろ苦い青春のエピソード。
http://www.sankei.co.jp/news/051122/evening/23iti001.htm
幻の恋人生きていた 本紙投書欄「談話室」が橋渡し
戦時下に文通 60年経て対面へ
“幻の恋人”は生きていた−。大阪府大東市の松平信子さん(79)が戦時中約四年間にわたって文通し、終戦直前に行方がわからなくなっていた旧日本兵の男性の所在が六十年ぶりに明らかになった。広島県三次市在住の山田治雄さん(86)。本紙投書欄「談話室」に掲載された松平さんの投書(八月三十日付朝刊)がきっかけで、読者から情報が寄せられた。山田さんは現在、病気療養中だが、「早く元気になって手紙を書きたい」。松平さんも「一日も早くお会いしたい」と、対面を心待ちにしている。(勝田康三、田中伸治)
二人が文通を始めたのは昭和十六年。当時小学生だった松平さんの妹、愛子さん(76)が学校から中国の戦地で戦う兵士にあてて慰問文を送り、山田さんから礼状が届いたことがきっかけだった。
「山田さんの手紙が達筆だったので、妹に代わって、私が姉として返事を書きました」と松平さん。その後は、ほぼひと月ごとに手紙やはがきを交換。山田さんからの便りには「内地は田植えの時期でしょうか」といった季節の話題や、「満足に寝られません」といった戦地での話がつづられていた。南京や蘇州の風景の絵はがきも届いた。
松平さんは十代後半の多感な時期で、「お兄さんというより、恋人のような存在だったのかもしれません」と話し、内地の新聞の切り抜きや得意のイラストを描いた手紙を送ったりしたという。
お互いの写真を交換したりして交流を深めたが、戦局が悪化した二十年四月、三十五通目の便りを最後に、連絡がとれなくなった。松平さんは戦後、ラジオの復員ニュースを聞くなどして山田さんの手がかりを探したが見つからず、心の片隅に山田さんへの思いを秘めながら六十年の歳月がすぎた。
今年八月、松平さんは自らの総決算のような気持ちで談話室に投稿。「いつの間にか六十年が過ぎ、幻の恋人になってしまいました」とつづっていた。その後、山田さんの軍服姿の写真とともに情報提供を呼びかける記事も掲載され、紙面を見た山田さんの親族を通じて連絡があった。
山田さんは昭和二十一年に復員後、郷里の広島で結婚。松平さんからの手紙は内地へ持ち帰ることができなかったため、連絡がとれなかったという。現在は、病気のため自宅療養をしているが、松平さんのことはしっかりと覚えており、「彼女に早く手紙を書きたい」と家族に話しているという。
松平さんは「いつか山田さんに会えるのではないかと、手紙はどうしても捨てられませんでした。ぜひお会いしたいです」と話している。
これは メッセージ 357 (onlythelonelynites さん)への返信です.
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