★「喜び組」が招いた親子の対立 【1】
投稿者: prescott_sheldon_bush_senior 投稿日時: 2005/11/13 18:22 投稿番号: [261 / 2847]
★「喜び組」が招いた親子の対立
ソ連邦からの三年後の1994年7月、北朝鮮と言う国家のほころびを決定づける出来事が起きた。妙香山の特閣(別荘のこと)で、金日成がこの世を去ったのだ。
死因は心臓麻痺。それが間違いないのだが、支那北京政府筋の情報によると、半世紀にわたって「英雄・金日成」を演じ続けた男が死んだとき、特閣の周辺では一発の銃声が聞こえたという。もっとも銃弾が金日成に向けられたものではない。殺されたのは特閣の護衛者。
これはどういうことか。なぜ、国家元首が病死したときに、護衛の人間が殺されなければならなかったのか。
当時、一緒に特閣で過ごしていた息子が疑われて当然だろう。
実はこのとき、金日成が特閣を訪れるときは必ず用意されているはずの2台のヘリコプターが妙香山には1台もなかった。そのために金日成の体に変調が起きても、医者のいない特閣からすぐに運び出せる態勢になっていなかった。金日成が倒れたとき、おそらく護衛の一人が慌てて平壌に「至急、医者を寄越せ」と連絡を取ろうとしたに違いない。しかし彼には銃弾が向けられた。
それが金正日の仕業だとすれば、彼は父親を殺したも同然だ。まだ助かるかもしれなかった金日成を「見殺し」にしたことになる。そして実際、彼ら親子関係はそういうことがおきても不思議ではない緊張関係があった。
金正日といえば、以前は父親のために宮殿を建ててプレゼントをしたことがあったこともあるくらい孝行息子。その親子仲の良さは有名だった。
そんな金親子の関係が急速に冷えていったのは、1980年前後のこと。原因の一つは、あの「喜び組(キップムジョ)」に関係する。
いまや日本でもその存在がよく知られるようになった「喜び組」―この呼び方も嘘で正しくは「喜ばせ組」だが―は、北朝鮮全土から毎年約50人ずつ集められる。ただしスカウトを担当する平壌政府の第五課が金正日の差し出すのは80名。その中から金正日が50人を選び、残った30人を父親の金日成にお裾分けしてた。
それについては金日成も文句はなかったのだが、問題は80年前後に金正日が担当セクションに「海外からも女を連れて来い」と号令を出したこと。そこで第五課は、レバノン人やデンマーク人の女性を拉致して連れてきた。ところが彼女たちを身体検査してみると、処女がひとりもいない。
これが父親の逆鱗に触れた。こうして書いていても情けなくなるぐらいどうでもいいことだが、彼にとっては大事なことなのだろう。なにしろ9歳か10歳で「喜び組」に選ばれた女性たちは、絶対に「傷モノ」にならないよう、20歳になるまで男性と交際できない環境に押し込まれ、カゴの鳥のように管理される。それぐらい、処女であることが重要視される。
激しく叱責された金正日が、持ち前の被害妄想癖も手伝って、それ以来、父親を警戒するようになった。おそらく下手すれば寝首をかかれることになるとでも思ったのだろう。自分がプレゼントした宮殿に盗聴器を仕掛けて父親の会話を傍受すると言う徹底ぶり。
すると、それまで思っていた以上に、自分と父親の間には対韓国政策に関して大きな違いがあることがわかってきた。息子のほうは軍事力で南を倒せると信じていたが、父親はもう戦争では無理だと考えているらしい。結果として親子関係に距離が生まれていった。一般には政策の違いが晩年の不仲が原因だと言われているが、実際はその前に、女をめぐる下世話極まりない対立があったのだ。
ソ連邦からの三年後の1994年7月、北朝鮮と言う国家のほころびを決定づける出来事が起きた。妙香山の特閣(別荘のこと)で、金日成がこの世を去ったのだ。
死因は心臓麻痺。それが間違いないのだが、支那北京政府筋の情報によると、半世紀にわたって「英雄・金日成」を演じ続けた男が死んだとき、特閣の周辺では一発の銃声が聞こえたという。もっとも銃弾が金日成に向けられたものではない。殺されたのは特閣の護衛者。
これはどういうことか。なぜ、国家元首が病死したときに、護衛の人間が殺されなければならなかったのか。
当時、一緒に特閣で過ごしていた息子が疑われて当然だろう。
実はこのとき、金日成が特閣を訪れるときは必ず用意されているはずの2台のヘリコプターが妙香山には1台もなかった。そのために金日成の体に変調が起きても、医者のいない特閣からすぐに運び出せる態勢になっていなかった。金日成が倒れたとき、おそらく護衛の一人が慌てて平壌に「至急、医者を寄越せ」と連絡を取ろうとしたに違いない。しかし彼には銃弾が向けられた。
それが金正日の仕業だとすれば、彼は父親を殺したも同然だ。まだ助かるかもしれなかった金日成を「見殺し」にしたことになる。そして実際、彼ら親子関係はそういうことがおきても不思議ではない緊張関係があった。
金正日といえば、以前は父親のために宮殿を建ててプレゼントをしたことがあったこともあるくらい孝行息子。その親子仲の良さは有名だった。
そんな金親子の関係が急速に冷えていったのは、1980年前後のこと。原因の一つは、あの「喜び組(キップムジョ)」に関係する。
いまや日本でもその存在がよく知られるようになった「喜び組」―この呼び方も嘘で正しくは「喜ばせ組」だが―は、北朝鮮全土から毎年約50人ずつ集められる。ただしスカウトを担当する平壌政府の第五課が金正日の差し出すのは80名。その中から金正日が50人を選び、残った30人を父親の金日成にお裾分けしてた。
それについては金日成も文句はなかったのだが、問題は80年前後に金正日が担当セクションに「海外からも女を連れて来い」と号令を出したこと。そこで第五課は、レバノン人やデンマーク人の女性を拉致して連れてきた。ところが彼女たちを身体検査してみると、処女がひとりもいない。
これが父親の逆鱗に触れた。こうして書いていても情けなくなるぐらいどうでもいいことだが、彼にとっては大事なことなのだろう。なにしろ9歳か10歳で「喜び組」に選ばれた女性たちは、絶対に「傷モノ」にならないよう、20歳になるまで男性と交際できない環境に押し込まれ、カゴの鳥のように管理される。それぐらい、処女であることが重要視される。
激しく叱責された金正日が、持ち前の被害妄想癖も手伝って、それ以来、父親を警戒するようになった。おそらく下手すれば寝首をかかれることになるとでも思ったのだろう。自分がプレゼントした宮殿に盗聴器を仕掛けて父親の会話を傍受すると言う徹底ぶり。
すると、それまで思っていた以上に、自分と父親の間には対韓国政策に関して大きな違いがあることがわかってきた。息子のほうは軍事力で南を倒せると信じていたが、父親はもう戦争では無理だと考えているらしい。結果として親子関係に距離が生まれていった。一般には政策の違いが晩年の不仲が原因だと言われているが、実際はその前に、女をめぐる下世話極まりない対立があったのだ。
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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