朝鮮を笑う

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斜め上の雲 97

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/19 16:54 投稿番号: [1911 / 2847]
  錫元は、黄東煥海軍大領(大佐)と骨董商の申休哲をきびしく追及した。
  ついに二人は、
「黄大領が別黄字銃筒の鋳造を依頼してきた」
「八七年、申の鋳物工場で鋳造させた」
  と、白状した。
  さらに、錫元が申の家宅を捜索したところ十三点もの砲がみつかった。全てかれのつくったにせものである。
  八七年といえば、発掘団の結成される二年前である。遺物捏造は周到に計画されたものであるという可能性が出てきた。

「申の関与している物品をすべて洗いなおせ」
  錫元の号令で、過去に申休哲が納入、あるいは寄贈にかかわった物品の鑑定がはじまった。その結果、申が九三年に海軍士官学校博物館に寄贈した李朝時代の青銅製雨量測定器が偽造されたものであることが判明した。
  また、九四年二月に海戦遺跡発掘団が全羅南道の麗水近海で引きあげた亀甲船の甲板に取りつけられた攻撃用の突起であるとされる、
「刀錐」
  も、黄の頼みによって申が偽造したものであったことが判明した。
  余談ではあるが、この刀錐は引きあげられた年のうちに、光州のスンシン工業高等学校教師である金鐘源の分析によって、成分が他の李朝の鉄製品とはことなり現代の建築用鉄筋に酷似しているという結果がでていたものであった。もちろん、その鑑定結果は無視されていた。

  こうして、第二七四号の国宝指定は取り消され、黄ら関係者は処分され、事件は終焉した。個人の功名心や欲望が動機であって、国家ぐるみでの確信的な捏造ではなかったことが不幸中の幸いであったかもしれない。
(それにしても、なぜ誰も見抜けなかったのか)
  錫元にとっては、それが最大のなぞである。鑑定に参加した文化財委員会第二分科会の学者たちは、趙成都教授だけでなくいずれも歴史や考古学の大家であった。
  任昌淳文化財委員長、黄寿永と泰弘ショウ(火言火のしたに又)という二人の元文化財委員長、千恵鳳成均館大教授、安輝濬ソウル大教授、文明大東国大教授、洪潤植文化財委員といった面々がことごとく数年前につくられた銃筒を四百年前のものとかんちがいしてしまったというのか。
  錫元は、審議に参加した委員たちにも事情をきいた。
「七言絶句の件や、成分の点でも疑問が多かったのは事実だ」
「しかし、発掘団が引きあげ当時の写真までしめし、壬辰倭乱研究の最高権威である趙成都教授がまったく疑っていなかったため引きずられた」
  と、かれらはいった。
  どうやら、優秀な韓民族の偉大さをしめすものであるというなら、その真偽を問う精神ははるか斜め下に後退してひたすらホルホル一色に染めあげられるという願望のなせるわざであったといえる。
(ようは、わが民族の病弊であるということだ)
  錫元は苦い顔でひそかにつぶやいた。
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