斜め上の雲 92
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/11/17 17:36 投稿番号: [1856 / 2847]
IMFの管理下におかれた韓国では、金大中大統領によって財閥の統廃合のほかIT産業の振興などの改革がすすめられたが、社会でもまざまな運動がおこった。
石油やガスといった輸入燃料の高騰により練炭の需要がふえたのもそのあらわれであった。韓国ではオンドルのために伝統的に練炭を使用してきたのだが、近年は暖房器具の普及によってその使用量が落ちこんでいたのである。
また、婦人団体の実施した「新・国債報償運動」では、初日の決起集会だけで金九千グラム、銀五百グラム、ドル紙幣三千二百ドルがあつまった。日韓併合直前、併合をまぬかれるため日本からの借金をかえそうとした国債報償運動を手本としたものであったという。
国庫に金製の貴金属を供出するという運動も展開された。放送局がキャンペーンをはったところ一週間で八十万人が五十トン以上の貴金属を供出した。
このときほど、この国のひとびとが反日以外の理由で結束したことはなかったといっていい。
「韓国が危機におちいれば、日韓関係は好転する」
錫元は苦笑した。韓国が反日などやっていられないような窮境になったためだというのである。
金大中大統領も、日本大衆文化の開放をすすめ、九九年五月五日、端午の節句の行事のおり官邸に子供たちをまねいたとき、かれらに、
「大統領は、子供のころどんな贈りものがほしかったですか」
ときかれ、
「歴史に興味があったので、歴史の本がほしかった。しかし、当時は日本だったので日本の歴史しか教えてもらえなかった」
といい、
「先生が、他の日本人生徒になぜ朝鮮人の豊田のほうが日本の歴史をよく知っているんだ。もっと勉強しないか、といったことさえあった」
とわらった。今から考えればとうていゆるされる会話ではないであろう。
また、この年は海軍が注目された年でもあった。六月には西海の延坪島沖で北方境界線をこえて南下していた北朝鮮の警備艇二隻と交戦、これを撃退した。
第二艦隊司令部のある仁川港の埠頭で表彰式がおこなわれ、迎撃した警備艇艇長以下将兵は特進し休暇まであたえられた。もっとも功績があるとされた艇長はまだ三十一歳の大尉であった。
(うらやましいことだ)
功績をたてて報われたことがではなく、余計なことを考えずに敵を撃退するだけでよいということがである。錫元はふとそうおもった。
太陽政策とやらに着手したこの国では、数年後には敵を同胞とよびかえ、かれの功績を犯罪にしてしまうようになるのではないか。
華秉の反応はややちがった。
「海軍はよくやった。だが敵をまちがえてはならぬ」
北朝鮮が海軍で侵攻してくることはないであろう。それよりも、注意警戒すべき対象は東海のむこうにある。
それをきいていた友達の海軍中尉は苦笑して、脇においていた本をそっと後ろにかくした。その本の表紙にはハングルで、
「坂の上の雲」
とかかれていた。この当時建軍期にある韓国海軍のなかで、この本が共感をもってひろく読まれるようになっていたのであった。
石油やガスといった輸入燃料の高騰により練炭の需要がふえたのもそのあらわれであった。韓国ではオンドルのために伝統的に練炭を使用してきたのだが、近年は暖房器具の普及によってその使用量が落ちこんでいたのである。
また、婦人団体の実施した「新・国債報償運動」では、初日の決起集会だけで金九千グラム、銀五百グラム、ドル紙幣三千二百ドルがあつまった。日韓併合直前、併合をまぬかれるため日本からの借金をかえそうとした国債報償運動を手本としたものであったという。
国庫に金製の貴金属を供出するという運動も展開された。放送局がキャンペーンをはったところ一週間で八十万人が五十トン以上の貴金属を供出した。
このときほど、この国のひとびとが反日以外の理由で結束したことはなかったといっていい。
「韓国が危機におちいれば、日韓関係は好転する」
錫元は苦笑した。韓国が反日などやっていられないような窮境になったためだというのである。
金大中大統領も、日本大衆文化の開放をすすめ、九九年五月五日、端午の節句の行事のおり官邸に子供たちをまねいたとき、かれらに、
「大統領は、子供のころどんな贈りものがほしかったですか」
ときかれ、
「歴史に興味があったので、歴史の本がほしかった。しかし、当時は日本だったので日本の歴史しか教えてもらえなかった」
といい、
「先生が、他の日本人生徒になぜ朝鮮人の豊田のほうが日本の歴史をよく知っているんだ。もっと勉強しないか、といったことさえあった」
とわらった。今から考えればとうていゆるされる会話ではないであろう。
また、この年は海軍が注目された年でもあった。六月には西海の延坪島沖で北方境界線をこえて南下していた北朝鮮の警備艇二隻と交戦、これを撃退した。
第二艦隊司令部のある仁川港の埠頭で表彰式がおこなわれ、迎撃した警備艇艇長以下将兵は特進し休暇まであたえられた。もっとも功績があるとされた艇長はまだ三十一歳の大尉であった。
(うらやましいことだ)
功績をたてて報われたことがではなく、余計なことを考えずに敵を撃退するだけでよいということがである。錫元はふとそうおもった。
太陽政策とやらに着手したこの国では、数年後には敵を同胞とよびかえ、かれの功績を犯罪にしてしまうようになるのではないか。
華秉の反応はややちがった。
「海軍はよくやった。だが敵をまちがえてはならぬ」
北朝鮮が海軍で侵攻してくることはないであろう。それよりも、注意警戒すべき対象は東海のむこうにある。
それをきいていた友達の海軍中尉は苦笑して、脇においていた本をそっと後ろにかくした。その本の表紙にはハングルで、
「坂の上の雲」
とかかれていた。この当時建軍期にある韓国海軍のなかで、この本が共感をもってひろく読まれるようになっていたのであった。
これは メッセージ 1853 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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