解説:斜め上の雲 39&40
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/09 02:26 投稿番号: [1546 / 2847]
>手本としたのは、かつて岸信介ら日本の革新官僚がすすめた満洲国の経済開発計画であった。
そういや、朴は満州国軍人でもありましたね。
>それまで韓国社会は伝統どおり武を軽視していた。65年に訪韓した日本人の新聞記者にたいし、ある韓国人記者は、
ここでいう日本人記者は当時朝日新聞記者だった田中明です。彼の著書「物語 韓国人」から引いたエピソードです。
朴政権については、鴨緑江の戦いが元ネタです。
戦勝によって外債の募集状況が好転してきたことを、経済成長「漢江の奇跡」にあててみました。以下原文。
≫戦術の要諦は、手練手管ではない。日本人の古来の好みとして、小部隊をもって奇策縦横、大軍を翻弄撃破するといったところに戦術があるとし、そのような奇功のぬしを名将としてきた。源義経の鵯越の奇襲や楠木正成の千早城の籠城戦などが日本人好みの典型であるだろう。
ところが、織田信長やナポレオンがそうであるように、敵に倍する兵力と火力を予定戦場にあつめて敵を圧倒するということが戦術の大原則であり、名将というのはかぎられた兵力や火力をそのように主決戦場にあつめるという困難な課題について、内や外に対しあらゆる駈けひきをやり、いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者をいうのである。あとは「大軍に兵法なし」といわれているように、戦いを運営してゆきさえすればいい。
日本の江戸時代の史学者や庶民が楠木正成や義経を好んだために、その伝統がずっとつづき、昭和時代の軍事指導者までが専門家のくせに右の素人の好みに憑かれ、日本特有のふしぎな軍事思想をつくりあげ、当人たちもそれを信奉し、ついには対米戦をやってのけたが、日露戦争のころの軍事思想はその後のそれとはまったくちがっている。戦いの期間を通じてつねに兵力不足と砲弾不足になやみ悪戦苦闘をかさねたが、それでも概念としては敵と同数もしくはそれ以上であろうとした。
(中略)
日露戦争の第一戦である鴨緑江渡河戦は、右のような理由で、きわめて正統的な戦術思想のうえに立っており、黒木軍はきわめて量においてゆたかで、とくにその優秀な火砲はつねにロシア軍を圧倒した。
(中略)
「一日で鴨緑江を突破し、さらに九連城をもくだいた」
という報道は世界をかけめぐり、日本政府が期待していた外債募集面での好結果が露骨に出た。
「日本の債券を買っておけば損はない」
という人気が、この第一戦の圧倒的な勝利によって、出てきた。
「兵力だけではない。運も憑いている」
といったのは、黒木軍の参謀長の少将藤井茂太である。
「鴨緑江の渡河戦のとき、いまにも雨がふりそうであった。雨がふって河が増水し流れが早くなればあの頼りない軍橋はいっぺんに押しながされてしまい、すべての作戦がむちゃくちゃになってしまう。ところが運よく渡河中にふらず、それが完了してから雨がふってきて大雨になった」
そういや、朴は満州国軍人でもありましたね。
>それまで韓国社会は伝統どおり武を軽視していた。65年に訪韓した日本人の新聞記者にたいし、ある韓国人記者は、
ここでいう日本人記者は当時朝日新聞記者だった田中明です。彼の著書「物語 韓国人」から引いたエピソードです。
朴政権については、鴨緑江の戦いが元ネタです。
戦勝によって外債の募集状況が好転してきたことを、経済成長「漢江の奇跡」にあててみました。以下原文。
≫戦術の要諦は、手練手管ではない。日本人の古来の好みとして、小部隊をもって奇策縦横、大軍を翻弄撃破するといったところに戦術があるとし、そのような奇功のぬしを名将としてきた。源義経の鵯越の奇襲や楠木正成の千早城の籠城戦などが日本人好みの典型であるだろう。
ところが、織田信長やナポレオンがそうであるように、敵に倍する兵力と火力を予定戦場にあつめて敵を圧倒するということが戦術の大原則であり、名将というのはかぎられた兵力や火力をそのように主決戦場にあつめるという困難な課題について、内や外に対しあらゆる駈けひきをやり、いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者をいうのである。あとは「大軍に兵法なし」といわれているように、戦いを運営してゆきさえすればいい。
日本の江戸時代の史学者や庶民が楠木正成や義経を好んだために、その伝統がずっとつづき、昭和時代の軍事指導者までが専門家のくせに右の素人の好みに憑かれ、日本特有のふしぎな軍事思想をつくりあげ、当人たちもそれを信奉し、ついには対米戦をやってのけたが、日露戦争のころの軍事思想はその後のそれとはまったくちがっている。戦いの期間を通じてつねに兵力不足と砲弾不足になやみ悪戦苦闘をかさねたが、それでも概念としては敵と同数もしくはそれ以上であろうとした。
(中略)
日露戦争の第一戦である鴨緑江渡河戦は、右のような理由で、きわめて正統的な戦術思想のうえに立っており、黒木軍はきわめて量においてゆたかで、とくにその優秀な火砲はつねにロシア軍を圧倒した。
(中略)
「一日で鴨緑江を突破し、さらに九連城をもくだいた」
という報道は世界をかけめぐり、日本政府が期待していた外債募集面での好結果が露骨に出た。
「日本の債券を買っておけば損はない」
という人気が、この第一戦の圧倒的な勝利によって、出てきた。
「兵力だけではない。運も憑いている」
といったのは、黒木軍の参謀長の少将藤井茂太である。
「鴨緑江の渡河戦のとき、いまにも雨がふりそうであった。雨がふって河が増水し流れが早くなればあの頼りない軍橋はいっぺんに押しながされてしまい、すべての作戦がむちゃくちゃになってしまう。ところが運よく渡河中にふらず、それが完了してから雨がふってきて大雨になった」
これは メッセージ 1544 (toapanlang さん)への返信です.
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