斜め上の雲 31
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/15 00:59 投稿番号: [1478 / 2847]
李は、対北政策について休戦交渉に消極的であったばかりか、五五年八月には休戦協定を即時に破棄するという談話を発表するなど、無用なまでに強気であった。
そのくせ在日朝鮮人の帰国事業については北朝鮮に遅れをとった。
日本のマスコミは、李の失政によって困窮する農家のようすを報道しつづけた。そのいっぽうで、北朝鮮の宣伝を側面援護するように、北朝鮮を建設途上の楽園として美しくえがいた寺尾五郎ら左翼人士の訪朝記や新聞報道が流されつづけた。
北朝鮮の宣伝をうのみにしない在日朝鮮人たちも日本のマスコミ報道には一定の信頼をおいたため、北朝鮮への帰還者が増大した。李承晩は北朝鮮と日本政府にたいする非難を繰りかえすのみで、北への帰還の流れをとどめ韓国への帰還者をふやすための有効な手をうたなかった。これこそがかれ最大の失策であるといっていいだろう。
以下は余談。
李は、ハングルの制定で有名な世宗大王の庶兄をその祖とする両班の出身である。
光復後の混乱期には、
「李王家をむかえて立憲君主制をとるべきだ」
という議論もわずかながらあった。結局採用されることはなかったのだが、李王家が日本に取りこまれていたので神聖性をうしなっていたのが理由であるとされる。
もっとも、秕政のすえに朽ちるようにして国をうしなった李王家に、国民統合のいしずえとなる求心性があったとは考えにくい。
李は、王家の親族であることを誇らしげに吹聴していたにもかかわらず、王族にはひたすら冷淡であり、その帰国を禁じたばかりか、訪米について査証を発行もしなかった。王族が政治的な対抗馬になることをおそれたための冷遇であったという。
あるいは、じぶんが「皇帝」になりたかったからであるともいう。
韓国人は気づかないことが多いが、朝鮮半島にも皇帝は存在した。一八九七年、李氏朝鮮は国号を「大韓帝国」とあらため、国王を皇帝とした。わずか十数年のあいだではあったものの、たしかに皇帝はいたのである。
前述したように李承晩は王族の血脈である。皇帝に即位できるいわれがないわけではない。そのためにもじぶんより血統のよい王族の帰国をゆるさなかったのだという。
とすれば、李のめざしたものは、国民によって冠をさずけられたナポレオンのような皇帝であったのかもしれない。
かれの言行を仔細にみると、これまでもふれたように矛盾や突発的な激情の噴出―-火病、であろうか――がみられる。
朝鮮戦争前、北進統一をさけびながら、現実の軍備の整備にはいっこうに手をつけなかったというあたりや、戦況に応じた対日姿勢の豹変ぶりから察するに、かれは、もっともらしく理想のみを語ってなにも行動せず、その場その場でかっこうがついて満足できれば、前後の矛盾、自家撞着のたぐいにはまったく気をはらわない両班そのものであったということもできる。
そのくせ在日朝鮮人の帰国事業については北朝鮮に遅れをとった。
日本のマスコミは、李の失政によって困窮する農家のようすを報道しつづけた。そのいっぽうで、北朝鮮の宣伝を側面援護するように、北朝鮮を建設途上の楽園として美しくえがいた寺尾五郎ら左翼人士の訪朝記や新聞報道が流されつづけた。
北朝鮮の宣伝をうのみにしない在日朝鮮人たちも日本のマスコミ報道には一定の信頼をおいたため、北朝鮮への帰還者が増大した。李承晩は北朝鮮と日本政府にたいする非難を繰りかえすのみで、北への帰還の流れをとどめ韓国への帰還者をふやすための有効な手をうたなかった。これこそがかれ最大の失策であるといっていいだろう。
以下は余談。
李は、ハングルの制定で有名な世宗大王の庶兄をその祖とする両班の出身である。
光復後の混乱期には、
「李王家をむかえて立憲君主制をとるべきだ」
という議論もわずかながらあった。結局採用されることはなかったのだが、李王家が日本に取りこまれていたので神聖性をうしなっていたのが理由であるとされる。
もっとも、秕政のすえに朽ちるようにして国をうしなった李王家に、国民統合のいしずえとなる求心性があったとは考えにくい。
李は、王家の親族であることを誇らしげに吹聴していたにもかかわらず、王族にはひたすら冷淡であり、その帰国を禁じたばかりか、訪米について査証を発行もしなかった。王族が政治的な対抗馬になることをおそれたための冷遇であったという。
あるいは、じぶんが「皇帝」になりたかったからであるともいう。
韓国人は気づかないことが多いが、朝鮮半島にも皇帝は存在した。一八九七年、李氏朝鮮は国号を「大韓帝国」とあらため、国王を皇帝とした。わずか十数年のあいだではあったものの、たしかに皇帝はいたのである。
前述したように李承晩は王族の血脈である。皇帝に即位できるいわれがないわけではない。そのためにもじぶんより血統のよい王族の帰国をゆるさなかったのだという。
とすれば、李のめざしたものは、国民によって冠をさずけられたナポレオンのような皇帝であったのかもしれない。
かれの言行を仔細にみると、これまでもふれたように矛盾や突発的な激情の噴出―-火病、であろうか――がみられる。
朝鮮戦争前、北進統一をさけびながら、現実の軍備の整備にはいっこうに手をつけなかったというあたりや、戦況に応じた対日姿勢の豹変ぶりから察するに、かれは、もっともらしく理想のみを語ってなにも行動せず、その場その場でかっこうがついて満足できれば、前後の矛盾、自家撞着のたぐいにはまったく気をはらわない両班そのものであったということもできる。
これは メッセージ 1465 (toapanlang さん)への返信です.
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