朝鮮を笑う

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斜め上の雲 30

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/12 00:33 投稿番号: [1465 / 2847]
  李承晩は、外交においてことごとく対外強硬策に出た。とくに休戦中の敵である北朝鮮に対する反共政策はよいとしても、反日をもかかげそれに固執しつづけた。
  大韓民国成立から半年と経っていない四九年一月にははやくも、
「対馬は韓国の領土である」
といい、「返還」要求の実行を示唆した。
  そのくせ、朝鮮戦争中ふたたびソウルをうしなった直後の五一年一月には、対日講和を支持、日韓友好を希望する声明を発表した。つまりは窮状にあって日本におもねったといっていい。
  五二年一月には、一転して海洋主権宣言を宣言、「平和線」と称して日本海に漁船立入禁止線領域線を設定した。いわゆる「李承晩ライン」である。ソウル再奪還によって戦況が有利に転じ、日本の機嫌をとる必要はなくなったと見定めたことが一因であろう。
  この李承晩ラインによって、三百隻をこえる日本漁船が拿捕され、四千人近くの漁民たちが抑留されたばかりか、銃撃による死者も四十四名にのぼった。しかも、抑留者を返還する条件として、日本政府は身代金をはらった上に、日本国内で重大犯罪者として収監されている在日朝鮮人四百七十二人を仮釈放して在留特別許可をあたえるはめとなった。人質外交の一種であるといえる。
  李はつづいて五三年二月に竹島の領有権を主張した。五四年一月には竹島に領土標識を設置し、五月には民間守備隊を派遣、九月には島の武装化を決定、とたたみかけるようにうごいた。そして十月には、竹島問題を国際司法裁判所に提訴するという日本政府の要請を一蹴した。

  また、日本経済の復興について、
「朝鮮戦争では国連軍十六ヵ国の青年たちが参加し、血を流して自由陣営を守っているのに、日本の青年たちは何をしていたか。映画をみて、パチンコをして、ストリップに興じていたではないか。そして特需で肥えふとったのではないか」
  と皮肉たっぷりにいいはなった。日本が国ごと国連軍の継戦能力をささえた兵站補給基地であったことをきれいに失念した、まことに粗雑きわまりない認識である。

  それは擱(お)くとしても、もし日本青年たちが、李のおもいに応えて自由陣営のために血を流して戦おうとしていればどうなったであろう。
  じつをいえば、李承晩自身が朝鮮戦争中に明確に答えを出している。
「日本軍が来たら、銃口を転じて北と一緒にたたかう。二度と朝鮮半島を日本人に踏ませない」
  と。
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