解説:斜め上の雲 26
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/02 23:29 投稿番号: [1441 / 2847]
>しかし、それは先年までのことであった。光復後、
「桜は日帝の象徴だ」
として桜を全部切り倒してしまったのである。
後年のことになるが、結局は植えなおされた。
「ここの桜は済州島の桜がもとである」
ということがいわれたからであった。いわば「桜は韓国起源だから」として免罪されたといっていい。もっとも桜を復活させたいがためにむりやり論理をつくりあげたというふうがしないでもない。
その論理はさらに後年、「日本の桜の代表であるソメイヨシノは済州島原産である」とあらぬ方向へ発展するのだが、ここでは擱(お)く。
鎮海の桜が復活したのは1962年です。よってこの年を起源として桜祭りの回数がカウントされています。
「王桜は済州島の桜がもとである」という説は1932年に小泉源一郎京大教授も発表していました。韓国人の発表でないとまずかったんでしょうかな。(苦笑)
最後のは、有名な「ソメイヨシノはウリナラ起源」です。
>本題からはずれるようだが、いますこし鎮海について。
ここで書いた「日帝神話」は、韓カテにいらっしゃる皆さんなら一度は聞いたことがあるものでしょう。
この手で行くなら、朝日新聞は、日帝軍国主義の復活を策動する右翼反動新聞となるんですがねぇ。国旗ばかりか旭日旗をも揚げて、灼熱の太陽のもとで少年たちが軍隊ばりの行進をおこなうイベントも主催してるし。(失笑)
>ある日、全斗煥が校庭で錫元に会ったことがある。
「金よ、そんなに日本軍のことばかり調べてどうするんだ」
他の生徒や教師たちにとってかれの行動が奇異にうつったことは先にふれた。この質問はふしぎではない。
ここは3巻、海軍大学校の坂本校長が、アメリカ留学中の秋山真之にあったとき「なぜ大学校に入らんのかね?」と訊き、「私に教える人がいるでしょうか?」と反問されたくだりが元ネタです。
なお、最後の一行は伏線です。実を言えば、錫元の話だけでなく、弟の華秉の話にも、伏線とするつもりで書いたものも多くあります。またかなーり後でご説明します(多分)。
以下原文。
≫海軍大学校時代の校長は坂本俊篤であったが、この坂本が欧州視察の途中アメリカに寄り、ワシントンで大尉時代の真之に会ったことがある。
「君は、海軍大学校に入らんのかね」
海軍大学校の甲種学生は少佐か大尉でえらばれるから、この質問はふしぎではない。
が、真之はふしぎそうな顔をしてこの老先輩の顔を見つめ、
「私に教える教官がいるのでしょうか」
と、反問した。
坂本は、一瞬考えてしまった。
(なるほど、そうかもしれんな)
と、思いなおした。ワシントンでの滞在中、公使館の広間でずっと真之の話をきいていたのだが、いちいち感嘆した。
(これは学生というより、教官だ)
「桜は日帝の象徴だ」
として桜を全部切り倒してしまったのである。
後年のことになるが、結局は植えなおされた。
「ここの桜は済州島の桜がもとである」
ということがいわれたからであった。いわば「桜は韓国起源だから」として免罪されたといっていい。もっとも桜を復活させたいがためにむりやり論理をつくりあげたというふうがしないでもない。
その論理はさらに後年、「日本の桜の代表であるソメイヨシノは済州島原産である」とあらぬ方向へ発展するのだが、ここでは擱(お)く。
鎮海の桜が復活したのは1962年です。よってこの年を起源として桜祭りの回数がカウントされています。
「王桜は済州島の桜がもとである」という説は1932年に小泉源一郎京大教授も発表していました。韓国人の発表でないとまずかったんでしょうかな。(苦笑)
最後のは、有名な「ソメイヨシノはウリナラ起源」です。
>本題からはずれるようだが、いますこし鎮海について。
ここで書いた「日帝神話」は、韓カテにいらっしゃる皆さんなら一度は聞いたことがあるものでしょう。
この手で行くなら、朝日新聞は、日帝軍国主義の復活を策動する右翼反動新聞となるんですがねぇ。国旗ばかりか旭日旗をも揚げて、灼熱の太陽のもとで少年たちが軍隊ばりの行進をおこなうイベントも主催してるし。(失笑)
>ある日、全斗煥が校庭で錫元に会ったことがある。
「金よ、そんなに日本軍のことばかり調べてどうするんだ」
他の生徒や教師たちにとってかれの行動が奇異にうつったことは先にふれた。この質問はふしぎではない。
ここは3巻、海軍大学校の坂本校長が、アメリカ留学中の秋山真之にあったとき「なぜ大学校に入らんのかね?」と訊き、「私に教える人がいるでしょうか?」と反問されたくだりが元ネタです。
なお、最後の一行は伏線です。実を言えば、錫元の話だけでなく、弟の華秉の話にも、伏線とするつもりで書いたものも多くあります。またかなーり後でご説明します(多分)。
以下原文。
≫海軍大学校時代の校長は坂本俊篤であったが、この坂本が欧州視察の途中アメリカに寄り、ワシントンで大尉時代の真之に会ったことがある。
「君は、海軍大学校に入らんのかね」
海軍大学校の甲種学生は少佐か大尉でえらばれるから、この質問はふしぎではない。
が、真之はふしぎそうな顔をしてこの老先輩の顔を見つめ、
「私に教える教官がいるのでしょうか」
と、反問した。
坂本は、一瞬考えてしまった。
(なるほど、そうかもしれんな)
と、思いなおした。ワシントンでの滞在中、公使館の広間でずっと真之の話をきいていたのだが、いちいち感嘆した。
(これは学生というより、教官だ)
これは メッセージ 1423 (toapanlang さん)への返信です.
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