朝鮮を笑う

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斜め上の雲 17

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/03/22 22:56 投稿番号: [1292 / 2847]
  8月中旬になって、浦項で防戦をつづけていた第3師団についに総司令部から撤退命令がとどいたとき、金錫源師団長は血相をかえた。
「これほどの恥辱があるかァ」
  と、幕営にあって、怒声をあげ、参謀長以下をてこずらせた。
  元来、金錫源というのは、そういう男であった。異常に気が強くもある。この気の強さがかれのわかいころ、日本軍をひきいて支那大陸を転戦し、中国軍をときに潰滅させ、ときに苦戦させ、さんざんの目にあわせたところでもあったであろう。

  かつて情報局長の白善菀が、
「なにしろ、司令官連中は日本軍生き残りの英雄たちですから」
  その統制がやっかいだ、という旨のことをもらしたことがある。金錫源は、白善菀のいう「連中」の部類でも最もたる人物といっていい。
  撤退が、恥辱であるという。
  安東撤退のときもそうであり、およそ戦略的立場からいえば敵を疲労させ進撃を遅滞させるため浦項からの撤退は当然なのだが、それを恥辱であると気色ばむような人間でなければ、援軍をあてにせず敵軍をひたすら防ぎつづけるという異常な行動を運営する軍隊統率者にはむかないのであろう。
  そのくせ、北朝鮮軍の攻撃下にある金錫源の師団は、刻々おされつつあった。
  総司令部からは再三撤退命令を伝える伝令がとんだ。
「これはたんなる撤退ではない。海上で戦力を再編してすぐに上陸作戦に移るためのものだ」
  そこまでいわせてようやく金錫源は首をたてに振った。

「命令受領者をあつめろ」
  と、金錫源はいった。
「命令受領者」
  というのは、この場合、大隊以上の団隊の者をあつめさせた。
  それらの諸部隊は、顔もあげられないほどの砲火のなかで戦っていたが、ともあれ、師団司令部が命令受領者をさし出せというため、連隊本部、大隊本部から、曹長以上の者が、砲火をくぐり、ときに地に伏し。ときに匍匐しながらあつまってきた。

  やがて、各団隊の命令受領者があつまってきた。
  参謀長の崔慶禄は、かれらを司令部前にあつめ、必要な命令および注意を書きとらせた。
  そのあいだも砲声が地をふるわせ、風が野を走って、参謀長の声がよくききとれない。鉛筆をもって書きとっている受領者たちがしばしば声をあげて、
「もう一度ねがいます」
  と、繰りかえしを望んだほどであった。
  参謀長の話がおわると、師団長金錫源は、ひっくり返したキムチ壷の上に乗り、
「わが師団は、開戦以来、つねに前線に立ち、苦しい条件のなか水原、大田、安東と転戦してきた。そして敵軍の攻勢を食いとめるという戦略目標は達せられた。自分の次なる任務は、諸君を無傷で撤退させ反攻にそなえることである」
  といったとき、金は跳ねあがって地団駄踏み、ついに壇にしているキムチ壷の底を踏みやぶってしまった。よほど撤退がいやであったのであろう。
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