斜め上の雲 2
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/01/22 12:42 投稿番号: [1096 / 2847]
年表ふうにいえば、1945年、日本の敗戦後、米ソがそれぞれ南北朝鮮に進駐し、朝鮮半島の国連信託統治案にたいする賛否や政治思想について諸勢力の抗争が激化、1947年には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立した。
南鮮に成立した大韓民国は、李承晩大統領の失政によって農家が困窮した。金村も例外ではなかった。金家などはとりわけ悲惨であった。
元さんは年少ながらはたらかざるを得なかった。家の農作業だけではなく他家の農作業もてつだい、山に入っては鹿や兎を獲って町で売った。
金家の当主金信五ほど逸話のすくない人物もめずらしいであろう。
「あんなまじめな男もない」
というのが若いころの評判であった。早くから釜山の税関でつとめ、篤実に勤務し、そのうち光復がきた。さっさと職を辞し、
「わしになにができるものか」
と、なにもしなかった。そのほうがよかったかもしれなかった。あわてて新政権に乗りかえようとした者はほとんどが政争に巻きこまれて失敗し、命を落とす者さえ出てきた。
信五は、そういうなかで多少めぐまれていたのは、日帝時代のまじめな勤務ぶりを買われ、金村の戸籍係の小役人として採用されたことである。ただし薄給で、この子沢山の金家の家計をその給料だけでまかなうということはできない。
「食うだけは、食わせる。それ以外のことは自分でなんとかしろ」
というのが、信五の子供たちへの口ぐせであった。
元さんが他家の農作業をてつだい、山で鹿や兎を追って金銭をかせいだのは、いわば信五の教育方針であった。元さんはこのかせぎで書物を買ったが、しかしこの程度のかせぎでは学校へはゆけなかった。
「学校へやってください」
と、元さんは一度この父に頼んだことがある。信五は、小声でいった。
「うちに、銭がないよ」
この父は、ちょっとした名言を吐いた。古今の英雄豪傑はみな貧窮のなかからうまれたが、ウリに働きがないのはいわば子のためにやっているのだ、といった。
学資もないくせに、
「元よ、貧乏がいやなら、勉強をしろ」
という。これが、この時代の流行の精神であった。政権は独立運動家どもにとられたが、しかしその政府には実務家がおらず、学問があり実務さえできれば日本統治下で栄達していた人物であっても国家が雇傭せざるをえない。統治者はかわったが、日本時代とおなじく就職の道は学問であるという。
それが食えるための道であり、光復で職をうしなったひとびとにとって、それ以外に自分を泥沼から救いだす方法がない。
(わたしも、学問をしたい)
と元さんはおもいつづけた。であればこそ他家の田畑で鍬をふるい、野山をかけて鹿や兎を追ったりしている。
(ウリナラに、ただの学校というものがないものだろうか)
と、あるはずもない夢のようなことも考えていた。
南鮮に成立した大韓民国は、李承晩大統領の失政によって農家が困窮した。金村も例外ではなかった。金家などはとりわけ悲惨であった。
元さんは年少ながらはたらかざるを得なかった。家の農作業だけではなく他家の農作業もてつだい、山に入っては鹿や兎を獲って町で売った。
金家の当主金信五ほど逸話のすくない人物もめずらしいであろう。
「あんなまじめな男もない」
というのが若いころの評判であった。早くから釜山の税関でつとめ、篤実に勤務し、そのうち光復がきた。さっさと職を辞し、
「わしになにができるものか」
と、なにもしなかった。そのほうがよかったかもしれなかった。あわてて新政権に乗りかえようとした者はほとんどが政争に巻きこまれて失敗し、命を落とす者さえ出てきた。
信五は、そういうなかで多少めぐまれていたのは、日帝時代のまじめな勤務ぶりを買われ、金村の戸籍係の小役人として採用されたことである。ただし薄給で、この子沢山の金家の家計をその給料だけでまかなうということはできない。
「食うだけは、食わせる。それ以外のことは自分でなんとかしろ」
というのが、信五の子供たちへの口ぐせであった。
元さんが他家の農作業をてつだい、山で鹿や兎を追って金銭をかせいだのは、いわば信五の教育方針であった。元さんはこのかせぎで書物を買ったが、しかしこの程度のかせぎでは学校へはゆけなかった。
「学校へやってください」
と、元さんは一度この父に頼んだことがある。信五は、小声でいった。
「うちに、銭がないよ」
この父は、ちょっとした名言を吐いた。古今の英雄豪傑はみな貧窮のなかからうまれたが、ウリに働きがないのはいわば子のためにやっているのだ、といった。
学資もないくせに、
「元よ、貧乏がいやなら、勉強をしろ」
という。これが、この時代の流行の精神であった。政権は独立運動家どもにとられたが、しかしその政府には実務家がおらず、学問があり実務さえできれば日本統治下で栄達していた人物であっても国家が雇傭せざるをえない。統治者はかわったが、日本時代とおなじく就職の道は学問であるという。
それが食えるための道であり、光復で職をうしなったひとびとにとって、それ以外に自分を泥沼から救いだす方法がない。
(わたしも、学問をしたい)
と元さんはおもいつづけた。であればこそ他家の田畑で鍬をふるい、野山をかけて鹿や兎を追ったりしている。
(ウリナラに、ただの学校というものがないものだろうか)
と、あるはずもない夢のようなことも考えていた。
これは メッセージ 1084 (toapanlang さん)への返信です.
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