朝鮮を笑う

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斜め上の雲 1

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/01/18 15:40 投稿番号: [1084 / 2847]
  まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。
  その半島のなかの一つの道が京畿道であり、京畿道は、ソウル、水原、坡州などにわかれている。坡州の主邑は金村。
  金村の市街には鉄道の駅があり、線路はソウルからきて、その線路は北にのび、さらに満鉄にまでつながっている。古来、この町はソウル北方の要衝とされたが、あたりの風景がさびしいために、そのように厳くはみえない。
  この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな韓国ということになるかもしれないが、ともかくもわれわれは3人の人物のあとを追わねばならない。そのうちのひとりは、ネチズンになった。すりかえ、罵倒といった韓国のふるい論争術に新風を入れてその中興の祖になった韓世実(ハン・セシル)である。世実は2002年、この故郷の町に帰り、

  春や今世界に誇るウリナラかな

  という句をつくった。多少電波が弱いところが難かもしれないが、世実は、さきにでた呉善花のようには、その故郷に対し複眼的な視線をもたず、ウリナラの優越性やのびやかさをのびやかなままに信じこんでいる点、京畿道と離島の済州島との風土の違いといえるかもしれない。
「元(ウォン)さん」
  といわれた金錫元(キム・ソクウォン)は、この町の役人の子にうまれた。日帝時代、役人は日本人が多かったが独占とは言えない。金家は代々常民だったが役人になれた。元さんは昭和10年うまれの七ヶ月児だが、成人して大男になったところをみれば、早生児というのはその後の成長にはさしつかえのないものかもしれない。

  元さんが10歳になった年の夏、国も金家もひっくりかえってしまうという事態がおこった。
  日本の敗戦である。
「匪賊が町にくる」
  ということで、役人も町民もおびえきった。この町の町長は、朝鮮人である。子弟を日本に留学させていたこともあり、朝鮮のなかでは日本にたいして格別な知識をもっていた。日中戦争中から自発的に日本軍に志願して、支那や南方で戦ったものも多い。要するにこの時勢での区分けでは、民族の敵であった。
  同じ朝鮮人でも、朝鮮独立のために戦ったという光復軍は、単に匪賊であったにもかかわらず戦勝者であると自称した。光復軍は、坡州を占領すべく南下したが、その人数はわずか30人たらずであった。
「日帝にくみした罪を悔いよ。15万円の賠償金をわれわれにさしだせ」
  と、光復軍の若い隊長が威丈高に命じ、このため町はさわぎになり、結局はそれに屈することになった。光復軍はわがもの顔に闊歩し、ものを買っても代金を払わないなど乱暴狼藉をするという事態になった。市街の役所などには、
「光復軍ご宿舎」
  というはり紙が出された。元さんは10歳の子供ながら、この光景が終生忘れられぬものになった。
「あれを思うと、こんにちでも腹が立つ」
と、かれは後年、日本から故郷に出した手紙のなかで洩らしている。
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