竹島外一島に関する考察4(史料の分析3)
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/01/29 15:01 投稿番号: [990 / 18519]
9.1880年6月?日
「軍艦天城松嶋調査」
外務省田辺らの要請により軍艦天城が調査を実施した。
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明治13年、天城艦を松島に廻航して、その地に至って測量し、はじめて松島は鬱陵島で、その他竹島なるものは1個の岩石にすぎないことを知り、ことは初めて明らかになった。さすれば、今日の松島はすなわち元禄12年にいうところの竹島であり、古来、日本の版図外の地であることを知るべきである(半けつさんより借用)
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何も言うことはありません。これまで、政府が松島と判断していた島が「現鬱陵島」であり、竹島と判断していた島が「現竹嶼」だった。
10以降は繰り返しになるので解説は割愛します(実は原文を読めなかったりする)。北沢正誠氏の「竹島版図所属考」は、天城の調査の後に、政府が指示してとりまとめたものであり、その後の政府の統一見解となります。1881年4月の「同国蔚陵島ノ儀ニ付同国政府ヘ送翰ノ件」にも1883年3月1日「朝鮮国所属蔚陵島ヘ我国民渡航禁止ノ件」といった政府文書に付属している。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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