竹島

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明治政府、竹島=独島の版図外確認1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/06/12 19:55 投稿番号: [9811 / 18519]
***様、半月城です。

   明治政府が竹島=独島を日本領外と判断した資料はいろいろありすぎて、戸惑うことが多いものです。かつての私もそうでした。また、私のホームページではそれらがきちんと整理されてないので、この際、改めてそれらの資料や経緯を整理してみることにします。
   なお、これまで私は論文などで、<明治政府の竹島=独島「放棄」>と書いてきたのですが(注1)、おっしゃるとおり明治初期の日本政府は、外務省といい、内務省や太政官といい、竹島=独島を「本邦の版図」と考えたことも、また領有を意図したこともなかったので「放棄」という語はたしかに不適当です。これを「日本領外の確認」と訂正します。

   竹島=独島を日本領外とする太政官指令の発端は、内務省地理寮係官の伺書からでした。1876(明治9)年、地理寮の田尻らは島根県を巡回したおりに竹島(鬱陵島)の情報に接し、同県の地籍編制係へ竹島を照会しました。
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内務省の地理寮から島根県宛の伺い書(口語訳、注2)
  (島根県伺い書の添付文書・乙第28号)
   ご管轄である隠岐(おき)国のかなたに、従来、竹島と呼ばれる孤島があると聞いております。もとより旧鳥取藩の商船が往復した船路もあります。伺い書のおもむきは、口頭で調査依頼およびご協議を致しました。
   加えるに、地籍編制に関する地方官心得書第五条の趣旨もありますが、なお念のためご協議をお願いします。以上の件、五条の適用となります。
   かくなる次第で、古い記録や古地図などを調べていただき、内務省本省へお伺いを立てていただきたく、ここにご照会致します。

   明治九年十月五日   地理寮第十二番出仕   田尻賢信
            地理大属        耵山栄蔵
  島根縣地籍編纂係御中
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   これをうけて、島根県令(代理)は竹島(鬱陵島)へ渡海していた大谷家の記録などを添え、同年10月16日、内務卿あてに「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を提出しました。
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  「日本海内にある竹島外一島の地籍編纂方法に関する伺い書」
                        (口語訳、注2)
   貴省(内務省)の地理寮職員が地籍編纂確認のため本県を巡回したおり、日本海内にある竹島調査の件で別紙乙第28号のような照会がありました。
   この島は永禄年間(1558-1569)に発見されたそうですが、旧鳥取藩のとき、元和4年(1618)から元禄8年(1695)までおよそ78年間、同藩領内伯耆(ほうき)国の米子町の商人・大谷九右衛門と村川市兵衛が江戸幕府の許可を得て、毎年渡海し、島の動植物を持ち帰って内地で売却していました。これについては確証があります。現在まで古書や古い書状が伝えられていますので、別紙のように由来の概略や図面をそえ、とりあえず申しあげます。
   今回、全島を実検のうえ、詳細をそえて記載すべきところですが、もとより本県の管轄に確定したものでもなく、また、北海百余里を隔て船路もはっきりせず、ふつうの帆船ではよく往復できないので、上記の大谷、村川家の伝記など詳細を追って申し上げます。
   しかして大勢を推察するに、管内の隠岐国の北西に位置し山陰一帯の西部に付属するとみられるなら本県の国図に記載し地籍に編纂しますが、この件はどのように取りはからうべきか御指令をお伺いします。
   明治九年十月十六日   島根県参事 境二郎
   内務卿 大久保利通殿
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
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