老中奉書について
投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/05/22 23:09 投稿番号: [9501 / 18519]
ここでちょっと奉書について見ておきましょう。
一部に奉書が海外活動にのみ発出されるが如き妄言の範疇に入る論調が見られるので斬り捨てておく必要がありそうです。
ここでいう奉書とは老中が連署して発出する伝達文書で、海外渡航の許可のみを指すわけではありません。朱印状と同じく公儀権力の意思伝達手段の1つの形式ことを言います。
発出者は全老中で、署名も一部を除き全員連署です。
その目的ですが、将軍名による「朱印状」「御内意」の補完をしたり、「法度」の細目を定めたりするなど、主に公儀権力の行使に関する命令の伝達手段として用いられています。
具体的には加増領地の細目、諸大名・直轄地の奉行への指示伝達、城改修許可、御用商人の指定、国内関所の通過許可(出張者への便宜供与)などかなり細かい命令も含まれています。
基本的には老中連署になりますが、前述した御用商人の上納金や献上品に対する幕府の受取状は老中単書の奉書の形で行われています。
さらに具体的に言えば、新田開発の際に朱印による許可が出たら、その開発地域を奉書で指定するなどです。
意外と知られていませんが、後に将軍となる8代将軍の徳川吉宗は紀州藩の後取りではありませんでしたが、幼少期に葛野藩3万石の領主になっています。ただ将軍は3万石を与えるとだけ言って、その3万石として「葛野藩」と指定したのは老中奉書です。
他にも木材買い付けなどで大型船を出す必要がある場合など奉書での買い付け命令が出ています。
竹島問題を見ると、鬱稜島へ渡航した商人は幕府から各種便宜供与を受けており、また、幕府に対する献上などもあることから、幕府から開発許可を得ていたのは間違いありません。
よって、鬱稜島渡航の奉書は開発許可の奉書と見るべきですね。
内藤正中氏については後に別投稿でいずれ論じるつもりですが、その稚拙な論から推察するに当時の貿易制度、歴史的背景を十分に理解していないということはいえそうです。
これは メッセージ 9500 (VIVA_VIVA_21 さん)への返信です.
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