『隠州視聴合記』と『大日本史』2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/05/05 17:35 投稿番号: [9292 / 18519]
【長久保赤水】
以上のように『隠州視聴合記』からは、竹島や松島が隠岐国所属であるとするのは困難であることが明確になりました。
その考えは長久保赤水の地図に反映されました。赤水は『隠州視聴合記』を参考にして「日本輿地路程全図」を作成しました。赤水図で竹島の脇に記された「見高麗 猶望雲州隠州」は、『隠州視聴合記』の記述「見高麗 如自雲州望隠岐」を引用したとみられます。
赤水は『隠州視聴合記』の解釈を踏襲してか「日本輿地路程全図」にて松島、竹島を暗に異国領と表現しました。すなわち、幕府官許(1778)後の彩色した地図において松島、竹島は異国同様に彩色されませんでした(注6)。
それを推しすすめ、竹島を明確に朝鮮領と表現したのが林子平でした。子平は赤水図を参考にして『三国通覧図説』の付録「三国接壌図」を作成しましたが、そこにおいて竹島(鬱陵島)のわきに「朝鮮ノ持ニ」とわざわざ記しました(注7)。竹島(鬱陵島)を朝鮮領と断定したことが明白です。
なお同図では、松島(竹島=独島)が描かれたのかどうか判然としません。竹島(鬱陵島)のそばの小島が松島でないのなら、松島は林子平の眼中になかったといえます。いずれにせよ、松島、竹島は異国という赤水の暗黙の認識に影響ありません。
さらに、そうした長久保赤水の認識が『大日本史』に反映されたようでした。赤水は「日本輿地路程全図」作製後は水戸藩において『大日本史』の地誌編纂にたずさわったようで、かれの子孫である長久保光明氏はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『大日本史』の地理志草稿は赤水自筆の漢文体が10数冊残っている。天明6年(1786)に赤水(70歳)は、地理志編修に従事し「彰考館編修」の職名で致仕(退官)する81歳まで10年余りを侍講の傍ら、日本68か国の各郡村の由来・名所旧跡などの地誌を 諸資料を閲覧して要約した。
・・・
十数冊に及ぶ草稿は、詳し過ぎて『大日本史』には不採用となった。明治時代にはいり栗田寛(彰考館編修のち東京大学教授)の新たな編修で、「国郡誌」の名称で、大日本史に集録された(注8)。
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赤水の彰考館時代の原稿をもとに『大日本史』の地誌が改めて編集されたようでした。その際『隠岐古記』など、ポスト赤水の史料が加えられたようです。
以上のように、『隠州視聴合記』の記述で松島、竹島は異国の地であるという解釈が赤水図や『大日本史』に受けつがれたようでした。
余談ですが、外務省のホームページは「竹島の領有権を確立していた(注2)」根拠のひとつに赤水図をあげていますが、なんともコッケイです。以上のような考察からすれば、赤水は松島(竹島=独島)を異国の地と考えていたのですから。ここでも根拠薄弱な史料を領有の根拠にしているようです。
いろいろな史実が判明するにしたがい、かつての外務省の見解がしだいにくずれていくようです。
(つづく)
以上のように『隠州視聴合記』からは、竹島や松島が隠岐国所属であるとするのは困難であることが明確になりました。
その考えは長久保赤水の地図に反映されました。赤水は『隠州視聴合記』を参考にして「日本輿地路程全図」を作成しました。赤水図で竹島の脇に記された「見高麗 猶望雲州隠州」は、『隠州視聴合記』の記述「見高麗 如自雲州望隠岐」を引用したとみられます。
赤水は『隠州視聴合記』の解釈を踏襲してか「日本輿地路程全図」にて松島、竹島を暗に異国領と表現しました。すなわち、幕府官許(1778)後の彩色した地図において松島、竹島は異国同様に彩色されませんでした(注6)。
それを推しすすめ、竹島を明確に朝鮮領と表現したのが林子平でした。子平は赤水図を参考にして『三国通覧図説』の付録「三国接壌図」を作成しましたが、そこにおいて竹島(鬱陵島)のわきに「朝鮮ノ持ニ」とわざわざ記しました(注7)。竹島(鬱陵島)を朝鮮領と断定したことが明白です。
なお同図では、松島(竹島=独島)が描かれたのかどうか判然としません。竹島(鬱陵島)のそばの小島が松島でないのなら、松島は林子平の眼中になかったといえます。いずれにせよ、松島、竹島は異国という赤水の暗黙の認識に影響ありません。
さらに、そうした長久保赤水の認識が『大日本史』に反映されたようでした。赤水は「日本輿地路程全図」作製後は水戸藩において『大日本史』の地誌編纂にたずさわったようで、かれの子孫である長久保光明氏はこう記しました。
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『大日本史』の地理志草稿は赤水自筆の漢文体が10数冊残っている。天明6年(1786)に赤水(70歳)は、地理志編修に従事し「彰考館編修」の職名で致仕(退官)する81歳まで10年余りを侍講の傍ら、日本68か国の各郡村の由来・名所旧跡などの地誌を 諸資料を閲覧して要約した。
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十数冊に及ぶ草稿は、詳し過ぎて『大日本史』には不採用となった。明治時代にはいり栗田寛(彰考館編修のち東京大学教授)の新たな編修で、「国郡誌」の名称で、大日本史に集録された(注8)。
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赤水の彰考館時代の原稿をもとに『大日本史』の地誌が改めて編集されたようでした。その際『隠岐古記』など、ポスト赤水の史料が加えられたようです。
以上のように、『隠州視聴合記』の記述で松島、竹島は異国の地であるという解釈が赤水図や『大日本史』に受けつがれたようでした。
余談ですが、外務省のホームページは「竹島の領有権を確立していた(注2)」根拠のひとつに赤水図をあげていますが、なんともコッケイです。以上のような考察からすれば、赤水は松島(竹島=独島)を異国の地と考えていたのですから。ここでも根拠薄弱な史料を領有の根拠にしているようです。
いろいろな史実が判明するにしたがい、かつての外務省の見解がしだいにくずれていくようです。
(つづく)
これは メッセージ 9290 (hangetsujoh さん)への返信です.
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