竹島

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江戸時代の竹島(鬱陵島)「編入」1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/01/10 22:40 投稿番号: [661 / 18519]
   半月城です。
   nagashorjpさん、#609
>位置関係から言って、松島(現竹島)は隠岐国か、お世辞でも出雲・石見(両国でほぼ現在の島根県本州部分)のどちらかである。松島(現竹島)が因幡・伯耆(両国でほぼ現在の鳥取県)の所属であると考える方に無理がある。

   単に地図だけでみると、たしかにそのとおりです。しかし、それにもかかわらず幕府が竹島(鬱陵島)および近辺の島を鳥取藩に問い合わせたのは、そうするのがベストだったのだろうと容易に察しがつきそうなものですが。
   それもそのはずです。幕府が鳥取藩の米子商人に竹島(鬱陵島)渡海免許を出したのは鳥取藩を通じてであり、この前後から鳥取藩は竹島、松島と深く関わりました。幕府の問い合わせは至極もっともなところです。

   その一方、隠岐国および出雲国には竹島・松島は自国領という意識は当初はありませんでした。それを『隠州視聴合記』にみることができます。1667年、隠岐を統治していたのは出雲藩ですが、出雲藩士・斎藤豊仙が書いた『隠州視聴合記』は日韓間で論争になっていることもあり、まずはこれを取りあげることにします。まず、同書の読みくだし文をかかげます。

斎藤豊仙 『隠州視聴合記』(1667年)(注1)
   隠州は北海の海中にあるので隠岐島という。これより南は雲州美穂関までは35里、東南は伯州赤碕浦まで40里、西南は石州温泉津まで58里、北から東は住むべき地がない。西北に一泊二日行くと松島がある。また一日ほどで竹島がある(俗に磯竹島という。竹や魚、アシカが多く、案ずるに神話にいうところのイソタケルから来ている)。
   この二島は無人の地である。高麗を見るに雲州より隠州を望むごとくである。しかるにすなわち日本の西北は「この州」をもって限りとなす。

   上記では隠州から南へ行くと雲州、東南へ行くと伯州、西南へ行くと石州、北や東は住むべき土地がない、北西へ行くと松島、竹島があるという書き方になっています。すなわち、隠州の東西南北は隠州でないので、松島、竹島も隠州ではないということになります。

   話は飛びますが、松島・竹島が隠州に属さないということでは現在の日本、韓国政府ともに見解が一致しているようです。すなわち、日本の西北の限りである「此州」を隠州と読むのか(韓国側)、州を訓読みで「しま」とよんで「此州」を竹島(鬱陵島)と読むのか(日本側)という論争が両国で未解決になっています。もし、松島、竹島が隠州に含まれるのなら、どちらにせよ竹島(鬱陵島)が日本の限りになるので、このような論争はありえないことはいうまでもありません。
   結局、『隠州視聴合記』が書かれたころは松島(竹島=独島)に一番近い隠岐国や出雲国は同島を自国領とみなしていなかったことが明白です。したがって、幕府の問い合わせ先が鳥取藩だったことは正しかったことになります。
(つづく)
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