当時のスルメ事情(4)
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/12/16 22:52 投稿番号: [6495 / 18519]
前回より更に資料も充実し、幾つか残されていた疑問点も整理されてきました。
>「特に36年イカの饒産を発見するや、入植者急に増加す。」とありますが、当時の内地人鬱島入植者の漁業従事者はゼロであり、この記述は年代を誤記したか全くの想像であることも考えられる。
と書きましたが、これは鬱陵島の場合は農業と漁業を兼業したためである可能性があります。
1909年『韓国水産誌』に拠れば「住民は、元と農業を主とし、漁は採藻のみに止まりしも、近頃は日本居住者に見習ひて中等以下の農民は悉く烏賊漁を営むに至れり」とあることから、内地人居住者は農業漁業兼業であったことが推定されます。
>「35,6年頃から邦人も海藻採集を開始したが、単独経営ではなく全部島人との共同経営。」とあるのも同様に非常に疑わしい記述と云うほかない。
これも、兼業漁業従事者の存在で説明がつくでしょう。
>従って「本島産のするめは専ら隠岐島人の開拓で」とあるが、その根拠は不明であり、むしろ当初韓人が従事していた鯣漁を後から入植した隠岐島人が真似て始めたのが事実ではないだろうか。
としましたが、これは撤回します。
>「潜水器業者も早くから来島し、あわび採取、その人夫に朝鮮人を使用」(古田敬市「朝鮮水産開発史」1954年、内藤正中「竹島[鬱陵島]をめぐる日朝関係史」p.156.より孫引き)
この記述には疑問点があります。
1909年『韓国水産誌』に拠れば「天草、鮑は日本人の採捕に委せ島人これに従事するものあらす」と報告されており、この点は「朝鮮水産開発史」の記述と矛盾します。
これは メッセージ 6404 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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