参考まで
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/09 20:53 投稿番号: [6301 / 18519]
>『大韓地誌』1899年に、1900年に設置された「鬱島郡」を記載することは不可能で、1899年の『大韓地誌』には「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」などとは書かれていません。これは明らかに捏造です。
手元に玄采の跋にあわせて光武10年青雲山人の跋の付された大韓地誌のコピーがありますが(再刊?)、該当の部分は見当たりませんね。探し方がわるいのか版が違うのか。いずれにしても、この版の大韓地誌で確認できることをいくつかのみ。
1.大韓国(ママ)の位置規定(1ページ目)
「我大韓国位置ハ亜細亜州東部ニ在シ、支那ノ東北部カラ日本海ト黄海渤海海ニ突出シタ半島国ナリ、北緯三十三度十五分ニ起シ四十二度二十五分ニ至リ、東経[英国緑威司天台ニ拠ル]百二十四度三十分ニ起シ百三十度三十五分ニ至ル…(カタカナ部分ハングル)」
2.江原道の地図(195ページあたり)
鬱陵島のごく近い周辺に小島があり、于山が記されている。ま、図からするとどう考えても竹嶼と考えていいでしょう。
3.江原道の海岸、島嶼(202ページ目)
「前略…沿岸ニ松島沙島無路島猪島竹島等ノ群島ガ羅列スルガ皆■(さんずいに貝と少)少ナル沙磧地ナリ、独欝陵島ハ東海ニ在スル稍大島ニテ島中央ニ在スル一峯ヲ中峯ト名シ、樹林ガ鬱蒼トシ規木ト香木等ガ著名ナリ」つまり、于山がまったく意識されていない。
ぱっと見たところ、こんな感じでしょうか。ま、光武三年版の確認も必要でしょうが私には手に入れるのが無理ですね。電子図書館で見れますか。
これは メッセージ 6267 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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