鳥取藩池田家文書3
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2002/12/29 21:22 投稿番号: [607 / 18519]
江戸時代、鳥取藩の町人が竹島・松島に出漁していただけに、鳥取藩は竹島・松島についての知識が豊富で、それなりの地図も残されました。現在、外務省の「竹島問題」サイトは、<我が国では古く「松島」の名によって今日の竹島がよく知られていたことは多くの文献、地図等により明白>と書いていますが、これはそのとおりです。
「http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html
しかし、竹島・松島を鳥取藩がいかによく知っていても、それは単なる知識だけにおわり、両島に対する領有意識はありませんでした。しかも、それは竹島一件の処理過程で公的に再確認されました。
それを幕府も追認しました。ただし、松島(竹島=独島)に関するかぎり幕府は同島の知見すらなかったので、領有意識などもちろん存在しませんでした。当時、竹島・松島は日本の版図外だったことが明らかです。
それにもかかわらず、外務省のサイトは固有領土説に固執しました。その根拠(?)として <例えば、1650年代に伯耆藩(鳥取)の大谷、村川両家が「松島」を幕府から拝領し経営していたという記録があり>と書いていますが、このように民間のあやふやな記録に頼らなければならないとは外務省の苦衷が察せられます。
今では「竹島日本領派」の研究者すら大谷・村川家の「松島拝領」に否定的であり、松島(竹島=独島)渡海免許は出されなかっただろうと述べています(注3)。日本外務省の「竹島(独島)固有領土説」はどの面からみても成り立たないようです。
(注1)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図」レファレンス、国会図書館,1985.4月号および5月号
(注2)池内敏「竹島一件の再検討」名古屋大学文学部研究論集』史学四十七号、二〇〇一年、八一頁。
(注3)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、国会図書館,1996
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
「http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html
しかし、竹島・松島を鳥取藩がいかによく知っていても、それは単なる知識だけにおわり、両島に対する領有意識はありませんでした。しかも、それは竹島一件の処理過程で公的に再確認されました。
それを幕府も追認しました。ただし、松島(竹島=独島)に関するかぎり幕府は同島の知見すらなかったので、領有意識などもちろん存在しませんでした。当時、竹島・松島は日本の版図外だったことが明らかです。
それにもかかわらず、外務省のサイトは固有領土説に固執しました。その根拠(?)として <例えば、1650年代に伯耆藩(鳥取)の大谷、村川両家が「松島」を幕府から拝領し経営していたという記録があり>と書いていますが、このように民間のあやふやな記録に頼らなければならないとは外務省の苦衷が察せられます。
今では「竹島日本領派」の研究者すら大谷・村川家の「松島拝領」に否定的であり、松島(竹島=独島)渡海免許は出されなかっただろうと述べています(注3)。日本外務省の「竹島(独島)固有領土説」はどの面からみても成り立たないようです。
(注1)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図」レファレンス、国会図書館,1985.4月号および5月号
(注2)池内敏「竹島一件の再検討」名古屋大学文学部研究論集』史学四十七号、二〇〇一年、八一頁。
(注3)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、国会図書館,1996
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 605 (hangetsujoh さん)への返信です.
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