竹島

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古来の「松島」

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/10/25 22:13 投稿番号: [5893 / 18519]
竹島一件の結果、日本は竹島(鬱陵島)は放棄したが松島(獨島)は放棄しなかったとの言いぐさをよく見かける。

しかし、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本では古来の松島は鬱陵島近傍の「一個の岩石」と考えられていた。

江戸時代に隠岐から松島への距離は概ね80里と云われていたが、実際はそんなに離れては居らず、実際のところ「80里」と云えば隠岐からは獨島よりも鬱陵島までの距離に近い。

明治時代以降この「80里」が一般に信じられてしまったため、古来の竹島たる鬱陵島を松島と信じてしまう事例が続出することになる。当時の日本外務省は慎重に軍艦天城を鬱陵島へ回航させて調査し、「明治十三年 天城艦ノ松島ニ廻航スルニ及ヒ 其地ニ至リ 測量シ始テ松島ハ鬱陵島ニシテ 其他竹島ナル者ハ一個ノ岩石タルニ過キサルヲ知リ事始テ了然タリ 然ルトキ今日ノ松島ハ即チ元禄十二年称スル所ノ竹島ニシテ 古来我版図外ノ地タルヤ知ルヘシ」との結論(『竹島考證』)に達するが、現実にはこの後「古来の松島」は一個の岩石に過ぎず、鬱陵島近傍の小島に矮小化して解釈してされてしまったため、リャンコ島を新発見の領土として先占しようと考えついたのだろう。
だが、現在の日本政府も認めるようにリャンコ島は「古来の松島」と判明しているのである。

日本が松島を日本領土と考えていなかった証拠に、日本は明治時代以降韓国併合に至るまで鬱陵島近傍に在る「一個の岩石」の領有権を主張したことはないのである。
それは「古来の松島」であれば議論の余地なく朝鮮の領土であることを知っていたからなのである。
また、戦後になってから今更にその様なことを言い出したのは、獨島が本来の持ち主に奪還されてしまったため、慌てて新たな言い掛かりとして考え出したからに他ならないのである。

なるほど、現在の日本政府の言い分が正しく「古来の松島は放棄して居らず日本領土」と一貫して考えられて来たのだとしよう。
ならば何故明治政府は天城艦の調査に基づいて鬱陵島近傍の「一個の岩石」を領有しようとしなかったのか。
明治時代には「古来の松島」を鬱陵島近傍の「一個の岩石」と考えていたのであるから、放棄していない日本領土として領有を主張した筈であるが、その様な主張はなかった。
日本が古来の松島の領有を主張したことは無いのである。
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