江戸幕府の松島(竹島=独島)認識
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/10/10 22:12 投稿番号: [5724 / 18519]
半月城です。
Am_I_AHO_1stさん、RE:5721
>松嶋(獨島)は竹嶋(鬱陵島)之内が当時の日本政府の見解であり、竹島と云うのは竹島と松島を併せて竹島列島或いは竹島群島とでも呼ぶべき地域として認識されていました。
たしかに、米子の商人・大谷家に残る文書で松島は「竹嶋之内松嶋」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋近所之小嶋」などと記され、ほとんど松島は竹島の属島として扱われていました。
しかし、それが当時、すなわち竹島(鬱陵島)渡海事業が行われていたころの日本政府の見解であったかどうかは疑問です。たしかに、旗本の阿部四郎五郎は「竹島近辺の松島」をしっかり認識していましたが、旗本個人の見解がそのまま日本政府の認識になったわけではありません。
それどころか、史料で見ると江戸幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったようです。日朝間に「竹島一件」紛争がもちあがったとき、幕府は調査のため鳥取藩へ質問状をだしましたが、そのときは松島を認識していなかったようです。これを再度記します。
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老中・阿部豊後守は鳥取藩にたいし一七か条からなる質問「御尋の御書付」を問い合わせた。そのなかで注目される質問は「因州 伯州え付候竹嶋はいつの此より両国え附属候哉」「竹嶋の外両国え附属の嶋有之候哉」の二点である。幕府は、竹島が鳥取藩付属であると思いこんでいたようである。
また、幕府は竹島以外に因幡、伯耆両国所属の島が存在するかどうか尋ねたが、これはとりもなおさず当時の幕府は松島(竹島=独島)の存在を認識していなかったことを示している(注1)。
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江戸幕府が松島(竹島=独島)の存在を知らなかったのは無理もありません。幕府の地方認識は、伊能忠敬が測量をして地図を作るまでは幕府が各藩に作らせていた国絵図に頼っていたので、鳥取藩などの国絵図に松島が描かれていなければ、幕府はそんな小島を知るよしがありません。
鳥取藩が松島、竹島を国絵図に描かなかったのは、それらは同藩の所属でないと認識していたからに他なりません。同藩は、先の幕府の質問状に対し「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」と明言し、竹島、松島は自藩領ではないと回答していました。
幕府は「竹島一件」の決着で竹島(鬱陵島)を放棄しましたが、これに関連して日本の外務省は韓国との竹島=独島論争でこう回答しました。
「元禄9年(1696)1月に徳川幕府は鬱陵島の経営を放棄するに決したが、今日の竹島への渡航は禁止されず、依然として日本領土と考えていた(注2)」
この主張が無理であることはいうまでもありません。幕府ははじめから松島を知らなかったので、松島(竹島=独島)を「依然として」日本領土と考えるはずがありません。ここでも日本政府の主張は破綻しています。
これに限らず、竹島=独島に関する史実が明らかになればなるほど日本政府の「固有領土」の主張が我田引水的解釈であったことが次第に露呈していきました。
(注1)<江戸時代の「竹島一件」>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.6981
(注2)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6,P55,
国立国会図書館
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
Am_I_AHO_1stさん、RE:5721
>松嶋(獨島)は竹嶋(鬱陵島)之内が当時の日本政府の見解であり、竹島と云うのは竹島と松島を併せて竹島列島或いは竹島群島とでも呼ぶべき地域として認識されていました。
たしかに、米子の商人・大谷家に残る文書で松島は「竹嶋之内松嶋」「竹嶋近辺松嶋」「竹嶋近所之小嶋」などと記され、ほとんど松島は竹島の属島として扱われていました。
しかし、それが当時、すなわち竹島(鬱陵島)渡海事業が行われていたころの日本政府の見解であったかどうかは疑問です。たしかに、旗本の阿部四郎五郎は「竹島近辺の松島」をしっかり認識していましたが、旗本個人の見解がそのまま日本政府の認識になったわけではありません。
それどころか、史料で見ると江戸幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったようです。日朝間に「竹島一件」紛争がもちあがったとき、幕府は調査のため鳥取藩へ質問状をだしましたが、そのときは松島を認識していなかったようです。これを再度記します。
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老中・阿部豊後守は鳥取藩にたいし一七か条からなる質問「御尋の御書付」を問い合わせた。そのなかで注目される質問は「因州 伯州え付候竹嶋はいつの此より両国え附属候哉」「竹嶋の外両国え附属の嶋有之候哉」の二点である。幕府は、竹島が鳥取藩付属であると思いこんでいたようである。
また、幕府は竹島以外に因幡、伯耆両国所属の島が存在するかどうか尋ねたが、これはとりもなおさず当時の幕府は松島(竹島=独島)の存在を認識していなかったことを示している(注1)。
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江戸幕府が松島(竹島=独島)の存在を知らなかったのは無理もありません。幕府の地方認識は、伊能忠敬が測量をして地図を作るまでは幕府が各藩に作らせていた国絵図に頼っていたので、鳥取藩などの国絵図に松島が描かれていなければ、幕府はそんな小島を知るよしがありません。
鳥取藩が松島、竹島を国絵図に描かなかったのは、それらは同藩の所属でないと認識していたからに他なりません。同藩は、先の幕府の質問状に対し「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」と明言し、竹島、松島は自藩領ではないと回答していました。
幕府は「竹島一件」の決着で竹島(鬱陵島)を放棄しましたが、これに関連して日本の外務省は韓国との竹島=独島論争でこう回答しました。
「元禄9年(1696)1月に徳川幕府は鬱陵島の経営を放棄するに決したが、今日の竹島への渡航は禁止されず、依然として日本領土と考えていた(注2)」
この主張が無理であることはいうまでもありません。幕府ははじめから松島を知らなかったので、松島(竹島=独島)を「依然として」日本領土と考えるはずがありません。ここでも日本政府の主張は破綻しています。
これに限らず、竹島=独島に関する史実が明らかになればなるほど日本政府の「固有領土」の主張が我田引水的解釈であったことが次第に露呈していきました。
(注1)<江戸時代の「竹島一件」>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.6981
(注2)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6,P55,
国立国会図書館
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 5721 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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