竹島

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大韓毎日申報の獨島記事

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/06/06 13:34 投稿番号: [5011 / 18519]
   半月城です。
   1906年、遅ればせながら竹島=独島の日本への「領土編入」を批判した韓国の新聞は、皇城新聞と大韓毎日申報の二紙でした。

   RE:4957
>   また統監府と憲兵隊により検閲された新聞でその事実を知った韓国人一般に獨島を日本に奪われたとする認識が定着しても不思議ではありません。
>要するに統監府は、日本が獨島を奪ったとする一般的な認識を容認したわけですね。

   私は「容認した」というよりは、下記の理由から「容認せざるを得なかった」と考えています。
   1905年に始まる日帝の統監府政治は、憲兵警察制度のもとに新聞の検閲をもちろん行い、時には停刊命令を出しました。その代表的な例はよく知られるように「韓国保護条約(1905)」強制を扱った皇城新聞の「是日也放声大哭」記事です。
   しかし「泣く子も黙る」憲兵ですら手を出せない新聞がありました。大韓毎日申報です。同紙は停刊になった皇城新聞を擁護し、記事「皇城義務」で皇城新聞は当然の義務をはたしたのみで何ら悪い点はないとする記事を同紙に公然と載せました。

   このように統監府にとって大韓毎日申報は目の上のタンコブだったのですが、社長のベセルがイギリス人だったため、容易に手が出せませんでした。イギリスといえば日本同盟を結んだ日本の「盟友」であり、イギリス人に対する攻撃は外交上の配慮が必要でした。
   それを奇貨に、韓国で日帝に立ち向かう国権回復運動の中心的存在であった梁起鐸、朴殷植、申采浩らが思う存分舌鋒をふるっていました。統監の伊藤博文にとっては相当の脅威だったようで、千匹の馬より一行の記事がこわいという趣旨のことを言ってたくらいでした。実際、ベセル対策が日本外交文書にもたびたび登場したくらいでした。

   したがって、統監府はたとえ竹島=独島の記事で皇城新聞は処分できても、大韓毎日申報は「聖域」で手出しできなかったので、統監府としてはその記事を容認せざるをえなかったのではないかと思います。
   その結果「韓国人一般に獨島を日本に奪われたとする認識が定着」したのはいうまでもないと思います。さらにいえば、統監府はそれに反論あるいは否定する行動を何もとらなかったようでした。それは歯ぎしりしてもできないので当然といえます。

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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