獨島問答Q74「領土編入」を知った時期
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/04/25 18:11 投稿番号: [4186 / 18519]
愼𨉷廈教授の「獨島問題 百問百答」
Q74.(「領土編入」を知った時期)
それなら、大韓帝国政府は、日本が獨島を侵奪すべく、日本へのいわゆる「領土編入」の事実をいつ知ったのか?
ANS.韓国側が日本政府の「獨島」侵奪と、日本にいわゆる「領土編入」した事実を初めて知ったのは 1906年3月28日であった。知った過程は、日本政府が大韓帝国政府に照会してくるなり、通報してきたのではなく、日本の島根県隠岐島司一行が「獨島(竹島)」を視察し、帰り道に鬱陵島に寄り、鬱島郡守の沈興澤を訪問し、自分たちが「獨島」を日本へ新たに「領土編入」したのであり、その管理者が隠岐島司であるので、新領土を視察しに来たが、帰り道に鬱島郡守を訪問したと間接的に知らせに来たのだ。
ここで注目すべき事実は、間接的に知らせたその方式と時期である。日本政府は韓国領の「獨島」を侵奪し、日本へ「領土編入」してしまった重大な事実を1905年2月当時に照会または通報しなかったのみか、1906年末でもまだ厳然とその名前が残っている大韓帝国政府に通報せずに、島根県隠岐島の末端地方官吏の間接的な話をつうじて鬱島郡守が知るようにしたことである。
日本政府のこのような方式は、大韓帝国政府の領土侵奪という重大な事実を大したことのない些細な事件として処理し、また現地の地方官が抗議する場合にも、これを日帝統監府が些細なこととして処理するよう仕向けたのであり、(統監府時代以前の)大韓帝国中央政府に知られるのを極力回避したためと解釈される。
コメント:島根県事務官の神西事務官や隠岐の東島司ら一行の数十人が鬱島に寄ったのは「帰り道」のついでではありません。鬱島は竹島=独島から90kmも離れているにもかかわらずわざわざ鬱島に寄ったのは、次の Q75に書くように明確な目的があったものとみられます。
これは メッセージ 4018 (hangetsujoh さん)への返信です.
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