竹島

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>水路局

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/03/27 16:02 投稿番号: [3908 / 18519]
週末になるといらっしゃいますね。

>同じ時期の『日本水路誌』第4巻(1897)に竹島=独島に該当する島の記述はありませんし、関係海図にも竹島=独島は記載されませんでした。

1897年に日本水路誌に含まれなかったことは領有が明確ではなく無主地と考えたなら当然のことで、それは1905年の編入とも矛盾しないし、肝付局長の判断とも全く矛盾しません。

問題は「朝鮮水路誌」に含めたことですが、これは文字通り、水路は水路。この資料が日本の領土意識を反映したものとしても、かといって別に朝鮮領までを積極的に規定するものでもない。

>それが一転して、日本の「竹島編入」(1905)以後に作成された関係海図(1907)には竹島=独島が記載されました。

領有が明確になれば別に記してもいいでしょう。

>つまり 1894年当時、日本海軍は竹島=独島の存在を知っており、それを日本領ではなく朝鮮領と認識していたことは明らかです。

無主地が「水路」誌として「朝鮮水路誌」に含められた。それが、日本の所属が明確になることで「日本水路誌」に含まれた。それだけではないですか。その証拠に、肝付局長(海軍)も外務省もリアンクール岩を朝鮮領だとは考えていませんでした。内務省まで「韓国領の疑いあり」程度でした。

ついでに、1877年に外一島で内務省がリアンクール岩をすでに放棄していたとしたら、肝付局長も外務省も内務省もこんな風に考えたわけがありません。外一島は独島ではなかったし、また水路誌に記されたのもただ水路に過ぎなかったということ。

>当時、明治政府が国家事業として行った日本地図作成において、島嶼など水路の測量は海軍が行いました。したがって、海軍が認識しなかった島は版図としての地図には記載されず、当然日本領とは認識されませんでした。

大西輝俊氏によると1911年・1920年・1933年の海軍省水路部発行の海図は、リアンクール岩を鬱陵島とともに朝鮮海域に含めているそうですが(p.91)、ということは1905年に一旦日本に含めたはずのリアンクール岩を海軍が1911年に朝鮮に返却したということになるのでしょうか。

海図は海図でしょう。軍事的なもの。
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