日本海軍水路局の見解
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/03/27 13:39 投稿番号: [3905 / 18519]
半月城です。
日本海軍水路局の肝付局長が竹島=独島を「無主地」と考えたことは、水路局の政策に矛盾するものです。かつての水路局は竹島=独島を「無主地」どころか朝鮮領と考え、同島を『日本水路誌』ではなく『朝鮮水路誌』に公式に記載しました。同誌にリアンコールト列岩(竹島=独島)はこう記載されました。
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海軍水路部『朝鮮水路誌』1894.11.17,P255
第4章、朝鮮東岸
リアンコールト列岩
此列岩ハ洋紀一八四九年 佛國船「リアンコールト」號 初テ之ヲ發見シ 船名ヲ取テ リアンコールト列岩ト名ツク 其後一八五四年 露國「フレガット」形艦「パラス」號ハ此列岩ヲ メナライ及ヲリヴツァ列岩ト稱シ 一八五五年 英艦「ホル子ット」號ハ此列岩ヲ探検シテ ホル子ット列島と名ツケリ 該艦長フォルシィス ノ言ニ據レバ此列岩ハ北緯三七度一四分 東經一三一度五五分ノ處ニ位スル 二坐ノ不毛岩嶼ニシテ 鳥糞常ニ嶼上ニ堆積シ嶼色爲メニ白シ 而シテ北西彳西至南東彳東ノ長サ凡一里 二嶼ノ間 距離一/四里ニシテ 見タル所 一礁脈アリテ之ヲ連結ス
○西嶼ハ海面上高サ凡四一〇呎ニシテ形チ糖塔ノ如シ 東嶼ハ較々低クシテ平頂ナリ
○此列岩附近 水頗ル深キカ如シト雖モ 其位置ハ實ニ函館ニ向テ 日本海ヲ航行スル船舶ノ直水道に當レルヲ以テ頗ル危険ナリトス
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同じ時期の『日本水路誌』第4巻(1897)に竹島=独島に該当する島の記述はありませんし、関係海図にも竹島=独島は記載されませんでした。それが一転して、日本の「竹島編入」(1905)以後に作成された関係海図(1907)には竹島=独島が記載されました。
つまり 1894年当時、日本海軍は竹島=独島の存在を知っており、それを日本領ではなく朝鮮領と認識していたことは明らかです。
このような資料を前にしても、どうしても当時の竹島=独島を日本政府が朝鮮領と認識していた事実を認めたくない人はいるものです。その口実に「水路誌は、単に船の水路を示したものであり、領土の認識とは無関係である」などと苦しまぎれをいう人がいるようです。
しかし、これは見苦しい言い訳といわざるを得ません。それというのも、当時の日本において領土を画定する部署がまさに海軍の水路部だったからです。つまり、日本海軍の認識は、そのまま日本国家の認識になります。
当時、明治政府が国家事業として行った日本地図作成において、島嶼など水路の測量は海軍が行いました。したがって、海軍が認識しなかった島は版図としての地図には記載されず、当然日本領とは認識されませんでした。こうした明治時代の地図作成機関については下記に記したとおりです。
<明治政府の地図作成機関の竹島=独島認識>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.693
日本海軍水路局の肝付局長が竹島=独島を「無主地」と考えたことは、水路局の政策に矛盾するものです。かつての水路局は竹島=独島を「無主地」どころか朝鮮領と考え、同島を『日本水路誌』ではなく『朝鮮水路誌』に公式に記載しました。同誌にリアンコールト列岩(竹島=独島)はこう記載されました。
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海軍水路部『朝鮮水路誌』1894.11.17,P255
第4章、朝鮮東岸
リアンコールト列岩
此列岩ハ洋紀一八四九年 佛國船「リアンコールト」號 初テ之ヲ發見シ 船名ヲ取テ リアンコールト列岩ト名ツク 其後一八五四年 露國「フレガット」形艦「パラス」號ハ此列岩ヲ メナライ及ヲリヴツァ列岩ト稱シ 一八五五年 英艦「ホル子ット」號ハ此列岩ヲ探検シテ ホル子ット列島と名ツケリ 該艦長フォルシィス ノ言ニ據レバ此列岩ハ北緯三七度一四分 東經一三一度五五分ノ處ニ位スル 二坐ノ不毛岩嶼ニシテ 鳥糞常ニ嶼上ニ堆積シ嶼色爲メニ白シ 而シテ北西彳西至南東彳東ノ長サ凡一里 二嶼ノ間 距離一/四里ニシテ 見タル所 一礁脈アリテ之ヲ連結ス
○西嶼ハ海面上高サ凡四一〇呎ニシテ形チ糖塔ノ如シ 東嶼ハ較々低クシテ平頂ナリ
○此列岩附近 水頗ル深キカ如シト雖モ 其位置ハ實ニ函館ニ向テ 日本海ヲ航行スル船舶ノ直水道に當レルヲ以テ頗ル危険ナリトス
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同じ時期の『日本水路誌』第4巻(1897)に竹島=独島に該当する島の記述はありませんし、関係海図にも竹島=独島は記載されませんでした。それが一転して、日本の「竹島編入」(1905)以後に作成された関係海図(1907)には竹島=独島が記載されました。
つまり 1894年当時、日本海軍は竹島=独島の存在を知っており、それを日本領ではなく朝鮮領と認識していたことは明らかです。
このような資料を前にしても、どうしても当時の竹島=独島を日本政府が朝鮮領と認識していた事実を認めたくない人はいるものです。その口実に「水路誌は、単に船の水路を示したものであり、領土の認識とは無関係である」などと苦しまぎれをいう人がいるようです。
しかし、これは見苦しい言い訳といわざるを得ません。それというのも、当時の日本において領土を画定する部署がまさに海軍の水路部だったからです。つまり、日本海軍の認識は、そのまま日本国家の認識になります。
当時、明治政府が国家事業として行った日本地図作成において、島嶼など水路の測量は海軍が行いました。したがって、海軍が認識しなかった島は版図としての地図には記載されず、当然日本領とは認識されませんでした。こうした明治時代の地図作成機関については下記に記したとおりです。
<明治政府の地図作成機関の竹島=独島認識>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.693
これは メッセージ 3904 (hangetsujoh さん)への返信です.
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