フォークランド紛争の教訓
投稿者: CDU_CSU 投稿日時: 2004/03/14 16:39 投稿番号: [3841 / 18519]
1980年代初頭、アルゼンチン軍事独裁政権は窮地に立たされていた。
経済政策の失敗と独裁に対する国民の不満は頂点に達しつつあり大規模な反政府デモが発生。軍事政権は2千人を逮捕し力で押さえつけたがそれも限界に来ていた。
軍事政権には「敵」が欲しかった。
そこで目をつけたのが彼らの言うマルビナス諸島(フォークランド)だった。
以前からイギリスと領有権争いをしており、石油資源埋蔵も推測されていた。
軍事政権はこう考えたと思われる。
軍事力でマルビナス諸島を奪回してイギリスという「敵」をつくり国民の一切の不満・敵対心を政権ではなくイギリスに向かわせる。そしてマルビナスの地下資源を利用してアルゼンチン経済の立て直しに貢献させ、一石ニ鳥を狙おうと。
ただ問題はイギリスの出方であった。核ミサイル搭載原潜や空母などを保有するイギリスとまともに戦ってはアルゼンチンに勝ち目が無いのは明白である。
しかし権力の中枢に限られた情報しか入りにくい軍事独裁政権はイギリスはソビエトとその同盟国と対峙するので手いっぱいで、大軍をまわして本土から一万数千キロ離れたあんな小島を本気で奪回に来るわけが無いと考えた。
こうしてアルゼンチンだけに都合の良い論理から軍事作戦発動に対するGOサインがでてしまう。
1982年4月アルゼンチン軍はマルビナス(フォークランド)諸島に侵攻、占領した。百人弱のイギリス守備隊を破るのは造作も無いことだったが、イギリスのサッチャー首相は速やかに国際社会に根回しをすると空母二隻を含む三十隻あまりの大機動部隊を派遣し島を奪回、イギリスは「フォークランド」を見殺しにするというアルゼンチンの読みはあっけなく崩れた。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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