>>>皇城新聞
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2003/12/24 23:05 投稿番号: [2771 / 18519]
なるほど御紹介の文章では附属小六島がどこを指しているかは正確には分かりませんね(大西氏は于山島を独島としています)。調査において独島の存在が意識されていないか、附属小六島中に含まれているかどちらかなのですが。
もしこの「于山島」が独島で、同時に官報の「石島」だとすると、なぜわざわざ政府が于山島とも独島ともせずに名前を石島と記したかが不明(方言説・訓読み説でもとらないと…)で、もしこの文書の于山島が独島以外を指すのであれば調査団は独島に気づいていなかった(意識していなかった)可能性が生じてしまいますね。
政府に正式の報告文書があってもよさそうなものですが、残っていないのでしょうかね。韓国側としては何としても于山島=独島=石島とせねばなりませんから、方言まで含めてあらゆる理由をつけざるを得ませんが、正直なところ、私は方言説にあまり説得力を感じられません。
私の個人的な感覚としては日本の軍艦天城の実測から20年、すでに近代化の過程に入りつつあった(例えば京仁鉄道が1900年に開通など)当時の大韓帝国政府がこの地理を把握していなかったとも思えないのですが、実際のところ資料的にはどうもはっきりしませんね。
ともあれ、石島なる名前がなぜ急に出てきたか。それが観音岩を指すか現竹島を指すか。そのあたりは半月城さんが下条氏を罵倒するほどに明白な答えのある話でもなさそうです。
これは メッセージ 2768 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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