竹島

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> 〉「決定的」とは短絡的(続)

投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2003/06/10 16:34 投稿番号: [2077 / 18519]
〉>ラスクのいう「我々の情報」の情報源はどこにあるのか、ということなのです。
〉島根県編入に関する情報は,シーボルド経由でしょうね.で,韓国側領有に
関する情報は,無かったんじゃないでしょうか.つまり,
〉>我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱はれたことが決してなく、
〉の情報源は無し.情報そのものが無かったから.更に言えば,朝鮮側が,過去に領有していたことを示す情報を提供できなかったということ.

  少し長文ですが、悪しからず。
(前略)次にわれわれの考えたことは、講和条約が連合国側の折衝で既に定められた条約案を形式的に採択する会議となる公算が多いとすれば、会議前の連合国間の折衝において、どこかの国に日本の代弁者となってわが国の利益を擁護して貰わなければならない。しかしてかゝる国は米国を措いて他にないであろうということであった。(中略)かくの如く日本を理解し、同情的である米国によって、日本が強力に代弁してもらう以外に、当時として講話を有利に導く方法の無かったことは多言を要しないところであろう。しかし日本の主張の代弁者となって貰うためには、十分な資料を米側に与えなければならず、且つその資料は、実地に日本を見ている総司令部向きのものよりも、日本の実情に比較的疎い米本国政府向きのものでなければならない。そこでわれわれは、終戦の翌年、昭和二十一年秋頃から早くも一連の英文資料の作成を始めた。(中略)また領土問題に関する資料は、われわれの最も力を入れた資料の一つであった。(中略)領土問題だけでも七冊の資料集となったのである。われわれは当初米側がかかる資料を果たして受付けるか否かについて、多少の危惧を抱いていたのであるが、昭和二十三年から総司令部外交局の好意により、極く非公式の形で外務省から外交局へ提出し、同局よりワシントンへ送る途が開かれた。(中略)昭和二十五年に至る二年間に、平和条約の内容に関係のありそうな事項については、概ね網羅した資料を提出し終えた。(以下略)
吉田茂「講話に対する日本側の準備」(原典は『回想十年』、『戦後日本防衛問題資料集』第一巻、三一書房、1991年、より再引用)

以下つづく
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