竹島

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Re: 世宗実録と東國輿地勝覧は同一編者

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/26 19:34 投稿番号: [18056 / 18519]
お久しぶりです。地理誌の読み方には議論があるのは百も承知ですが、おそらくは、過去の朝鮮王朝での理解(南九萬がそうでしょうか。紛争にあたって陸地から鬱陵島までの間と説明していますね)でさしあたりよろしいのではないかと考えています。

また、文章としても、それで違和感はありません。逆に于山島と武陵島の二島の間のことを書いていると読んでも違和感はないのですが、文章の書き方を全体的に見ると、陸地から二島の間を指すと考えるのがよさそうに思います。

于山武陵二島、在縣正東海中、(二島相去不遠、風日芿明、則可望見、新羅時、稱于山國、一云鬱陵島、地方百里、恃險不服、智證王十二年、異斯夫爲何瑟羅州軍主謂于山人愚悍、〜以下省略)

点は、韓国パンフレットの3ページ、『世宗実録』地理誌(1432年)をクリックすると出てくる、1454年本に則りました。

そこで気づくことは、地理誌が、タイトルとしては「于山武陵二島」の二島説をとりながら、説明は「一云鬱陵島、地方百里」と一島説に則った形をとっていることです。過去の資料などを総合して参考にしながら文章を作ったのでしょう。

なお「相去不遠」ですが、「相」があるからと言って、必ずしも対象が二つ示されなければならないのではありません。原則的には「○○與○○」とか、「○○及○○」のあとに「相去不遠」が使われる用例が多いようですが、いつもそうなるわけでもありません。以下、一例。

傳曰「近來, 久不拜昌陵、敬陵, 擇日以行。寒食日(三月〔初〕七日〔也〕。)似可, 而初六日乃生員、進士放榜, 初七日則謝恩, 勢不可行也。 十日後則文、武科會試開場, 臺諫必皆入試場, 不可無臺諫, 而有擧動也。 來初三日乃祭祀日, 欲於是日拜陵, 其言于禮曹。 且路無橋梁構結處, 但修治道路, 務令無弊。 且相去不遠, 還宮必不至夜。 植炬亦勿爲之事, 竝下諭于京畿觀察使。」

これは、宮と陵の間が「相去不遠」としたものでしょうが、文章として宮という主体は明示されていません。主体は必ずしも明示されないこともある、あるいは○○與○○でないこともあるということです。

二島相去不遠は、二島が陸地から遠くないとも読めますし、二島がそれぞれに離れていないとも読める、曖昧な形になっているように読めます。まぁ、文章の全体で理解したらよいのではないでしょうか。

竹嶼に比する必要もないと思います。資料をいくつか総合して、ある意味で観念として作られた文章であって、実際の測量に基づくものではなさそうです。于山島と鬱稜島が地図や文献としてある。一島か二島か分からない。そういう理解が反映された資料ではないでしょうか。
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