竹島

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韓国のパンフレット(4頁め)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/26 01:49 投稿番号: [18041 / 18519]
この頁は批判にちょっと時間がかかるかもしれませんし、議論もでてくるかもしれません。ともあれ、提示していることは二つ。

1.安龍福が拉致されることによる交渉で日本が鬱陵島を放棄。したがって竹島も放棄した。
2.太政官の「外一島」判断。

さしあたり、1はあとにして、2から行きましょう。せっかくお話をいただいた部分なので。2は私は2006年には、14780あたり、あるいは14831で、すでに個人的な結論を出しています。
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1867年   勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年   陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   太政官判断。
1878年   外務省、鬱陵島=松島。(竹島言及なし)
1880年   同上
1881年   内務省地理局「大日本府県分轄図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1881年   内務省が外務省に鬱陵島照会。外一島資料添付。反応なし。
1882年   鬱陵島への日本人渡航について朝鮮政府から抗議。
1883年   鬱陵島渡航禁止
1883年   太政大臣三条実美、同上令において「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島」と記録。
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この流れの中で太政官の判断をとらえています。つまり、竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーという地理認識であり、幕府として放棄したのは鬱陵島に過ぎない、ということです。

島根県が資料を提出した。これに対し太政官が「外一島」を判図外とした。だから、リアンクール岩を放棄した、という論理は私はあまり正しいとは思いません。

竹島・松島を放棄した。これは私も認めています。しかし、太政官が考えた竹島・松島は、島根県が提出した資料にのみ拘束されるのではなく、政府の複数の資料によって検討、放棄されたのであり、その視角は島根県の提示している地図そのものを指すのではなく、当時の政府(内務省・太政官)の認識した竹島・松島と考えるのが妥当であると考える次第です。

>内務省と太政官はこれらの文書から「竹島外一島本邦関係無之」と判断しました。従って、竹島外一島は竹島=欝陵島と松島=現竹島であることは明らかです。

内務省と太政官が島根県提出の地図だけによって、外一島を規定したという根拠を教えていただけないでしょうか。

私は島根県の資料は島根県の報告・参考資料に過ぎず、判断は、別途、内務省と太政官側で島根県の報告に拘束されることなく下されたと考えます。根拠は、上記の年表に記したような、一貫した流れです。

内務省を含め、すべての政府機関で竹島・松島をアルゴノート・ダジュレーと判断していたと考えていたと見て、過言ではないものと思われます。

例えて言えば、あるとき、沖縄県が台湾という島の帰属について政府に問い合わせたとします。沖縄県は台湾のことを非常に詳しく説明しています。しかし、政府はさらに詳しい資料をもって精査・判断を下し、台湾は沖縄県に属さない、という返答をします。

この場合、政府は沖縄県の資料だけで判断を下すわけではありませんし、沖縄県のつける資料も参考資料にとどまります。これと全く同じ話です。

というわけで、一切の当時の資料を無視して、島根県提出の文書だけに拘束されなければならない理由を教えていただければ幸いです。半月城さんも同じ考えだったのですが、結局教えていただけませんでした。というか、理解さえしていただけませんでした。ご教授いただければ幸いです。
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