Re: 竹嶋と松嶋の権原
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/24 01:58 投稿番号: [18007 / 18519]
>漂着者だけが理解していたってことですよ。
漂着しますた、だけで、江戸表、さらに「詮議」の上で「奉達御上聞」とまでは行きませんよ。「御奉書」はそんなに軽くはないでしょう。
具体的な情報があるから詮議がなされる。当たり前の話です。情報は最低でも竹嶋渡海由来記抜書にある地理は入っていると考えるのが妥当なところでしょう。
>あのですね、幕府の「御尋の御書付」をお忘れですか?
いつも記憶にあるわけではないですが、言われれば思い出しますね。何年後の話をなさっていらっしゃるのやら。
>もしも竹嶋渡海免許発行時に竹嶋に関する詳細な情報を幕府が入手してたと仮定すれば、鳥取藩に対する「御尋の御書付」の内容との整合性がつきません。
普通につきますよ。竹島一件まで対馬藩も幕府も鬱陵島を日本であると把握していたのも、普通に事実ですし。
どこに疑問があるんでしょう。「御尋の御書付」にあるのは「因州伯州え付竹島」がいつから両国の附属になったかというもの。これは渡海免許とは必ずしも直結しない質問でしょう。
次に島の大きさ、人が住んでいるかどうかが質問にあります。渡海免許を出した件からは時間も経ち、「藩」としての正式の見解を求められた、と理解してよいでしょう。
あとは、藩の把握している詳細を確認した質問ばかりです。取り立てて書かずともよろしいでしょう。
幕府は島の大きさを再確認する必要があった。それはあるでしょう。あとは別に整合性に違和感は感じられません。人が住んでいるかなんて、70年前の話である上に、少なからぬ朝鮮人の漁が確認されているのですから、また確認も必要でしょう。
>情報を素直に見つめ、そこで合理的に何を読み取れるか、ということかと思います。
素直に見つめても「当時の幕府は竹嶋・松嶋の位置や場所など一切を把握してません」「米子の商人が自分たちの都合の良い許可書を手土産を持って依頼に来てるから書いてやった」という結論は、私には出てこないようです。
素直に文献を読めば、幕府は竹島の位置をほぼ理解していたし、また、おそらくは松島の位置も同様に理解していたと考えられるからです。
漂着しますた、だけで、江戸表、さらに「詮議」の上で「奉達御上聞」とまでは行きませんよ。「御奉書」はそんなに軽くはないでしょう。
具体的な情報があるから詮議がなされる。当たり前の話です。情報は最低でも竹嶋渡海由来記抜書にある地理は入っていると考えるのが妥当なところでしょう。
>あのですね、幕府の「御尋の御書付」をお忘れですか?
いつも記憶にあるわけではないですが、言われれば思い出しますね。何年後の話をなさっていらっしゃるのやら。
>もしも竹嶋渡海免許発行時に竹嶋に関する詳細な情報を幕府が入手してたと仮定すれば、鳥取藩に対する「御尋の御書付」の内容との整合性がつきません。
普通につきますよ。竹島一件まで対馬藩も幕府も鬱陵島を日本であると把握していたのも、普通に事実ですし。
どこに疑問があるんでしょう。「御尋の御書付」にあるのは「因州伯州え付竹島」がいつから両国の附属になったかというもの。これは渡海免許とは必ずしも直結しない質問でしょう。
次に島の大きさ、人が住んでいるかどうかが質問にあります。渡海免許を出した件からは時間も経ち、「藩」としての正式の見解を求められた、と理解してよいでしょう。
あとは、藩の把握している詳細を確認した質問ばかりです。取り立てて書かずともよろしいでしょう。
幕府は島の大きさを再確認する必要があった。それはあるでしょう。あとは別に整合性に違和感は感じられません。人が住んでいるかなんて、70年前の話である上に、少なからぬ朝鮮人の漁が確認されているのですから、また確認も必要でしょう。
>情報を素直に見つめ、そこで合理的に何を読み取れるか、ということかと思います。
素直に見つめても「当時の幕府は竹嶋・松嶋の位置や場所など一切を把握してません」「米子の商人が自分たちの都合の良い許可書を手土産を持って依頼に来てるから書いてやった」という結論は、私には出てこないようです。
素直に文献を読めば、幕府は竹島の位置をほぼ理解していたし、また、おそらくは松島の位置も同様に理解していたと考えられるからです。
これは メッセージ 17998 (h369jp さん)への返信です.
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