mattouyaさ〜ん
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/05/17 19:32 投稿番号: [1795 / 18519]
まず韓国の言う独島という名称についてですが
−−−−−−−半月城さんの過去の投稿から引用−−−−−−−
2566: (>>2565) 島根県告示と保護条約2
投稿者: hangetsujoh ▼▲2001年11月03日 午後 8時28分
メッセージ: 2566 / 2572
日本による竹島=独島の領土編入をつゆ知らずにいた韓国がその事実を知ったのは、翌年の1906年3月でした。島根県事務官・神西由太郎ら一行が、竹島=独島が島根県の所管になったのを機に同島を視察調査し、その帰途鬱陵島に寄港しましたが、そのとき領土編入の件を鬱陵島郡守に告げました。
この意外な話に驚いた郡守の沈興澤は、翌日ただちに中央につぎのような報告を送りました(注2)。
「本郡所属の独島は本部外洋にあり、100余里も離れている。本月4日(陽暦3月28日)午前8時頃 輪船一隻がやって来て島内道浦に碇泊したり。日本官人一行が役所を訪れていうには、独島が此度日本領地に編入されたので、視察に来てその途中でここを訪れた。
一行は日本島根県隠岐島司 東文輔、及事務官 神西由太郎、税務監督局長 吉田平吾、分署長警部 影山岩八郎、巡査一人、会議員一人、医師技士各一人、其外随員十余人であった。
まず質問したことは、戸数人口と土地の生産物の多少、次いで諸般の事務に人員と経費がどれほどかかっているかを調べて記録した。ここにその事実を報告し対策を検討することを願う」
この公文書で「本郡所属の独島」と記されているのが目をひきます。これはいうまでもなく、韓国の行政機構が竹島=独島を韓国領と認識していたことを意味します。また、独島の名前が韓国の公文書にはじめて登場したのも注目されます。
独島の名は、日本では二年前にすでに確認されました。軍艦「新高」の日誌(1904.9.25)に「松島ニ於テ『リアンコルド』岩実見者ヨリ聴取シタル情報」として「『リアンコルド』岩 韓人之ヲ独島ト書シ 本邦漁夫等 畧シテ『リヤンコ』島ト呼称セリ」と記録されていました(注1)。
これらを総合すると、島根県の告示に先立って韓国でも竹島=独島はきちんと認識されており、しかも同島は韓国の行政機構により少なくとも1906年3月以前に韓国領と認識されていたことになります。
−−−−−−−−(引用おわり)−−−−−−−−−−−−−−−
日本の竹島島根県編入の翌年、1906年の上記文書が韓国側が公文書で独島という呼称使った最初ですね?
独島というのは固有名詞ではなく名称はわからない一般的な離れ小島を指している一般名詞とも読めます。
半月城さんは1904年に漁夫たちが独島と呼んでいるとも書いてますが、これは公式文書でないようですし韓国の現在の独島という正式呼称にはつながりません。
自然に読むと「日本が編入したというその離れ小島(独島)はいったいどこだ?外洋100里のところにあるのか、そんな近い島ならきっと我が国じゃろう」という感じでしょうか?
逆に言うとこの時点まで(現在言うところの)島根県の竹島(=韓国名独島)を知らなかったんじゃないの?と思ってしまいます。
そこで最後に「これらを総合すると、島根県の告示に先立って韓国でも竹島=独島はきちんと認識されており、しかも同島は韓国の行政機構により少なくとも1906年3月以前に韓国領と認識されていたことになります。」と強引に結論づけちゃうのはどうかなぁ?
そして韓国は当時はたして日本の竹島編入に抗議できなかったのかということについては既に韓国は抗議出来たはずだという論証が以前にprachakaさんによりなされていますね。
それと、よく話題になる韓国の1900年の勅令41号に出てくる石島ははたして現在このトピで争点となっている(竹島=独島)のことなのでしょうか?
石島を方言で独島と訛って呼んでしまい、いつのまにかそれがお国の言う正式名称になってしまったのでしょうか?
そうかも知れないし違うかもしれません。
mattouyaさ〜ん、歴史門外の私でも、このくらいのことは覚えてしまったよ〜ん。
しばらく投稿は控えて旧竹島トピをじっくり勉強しましょうよ。
−−−−−−−半月城さんの過去の投稿から引用−−−−−−−
2566: (>>2565) 島根県告示と保護条約2
投稿者: hangetsujoh ▼▲2001年11月03日 午後 8時28分
メッセージ: 2566 / 2572
日本による竹島=独島の領土編入をつゆ知らずにいた韓国がその事実を知ったのは、翌年の1906年3月でした。島根県事務官・神西由太郎ら一行が、竹島=独島が島根県の所管になったのを機に同島を視察調査し、その帰途鬱陵島に寄港しましたが、そのとき領土編入の件を鬱陵島郡守に告げました。
この意外な話に驚いた郡守の沈興澤は、翌日ただちに中央につぎのような報告を送りました(注2)。
「本郡所属の独島は本部外洋にあり、100余里も離れている。本月4日(陽暦3月28日)午前8時頃 輪船一隻がやって来て島内道浦に碇泊したり。日本官人一行が役所を訪れていうには、独島が此度日本領地に編入されたので、視察に来てその途中でここを訪れた。
一行は日本島根県隠岐島司 東文輔、及事務官 神西由太郎、税務監督局長 吉田平吾、分署長警部 影山岩八郎、巡査一人、会議員一人、医師技士各一人、其外随員十余人であった。
まず質問したことは、戸数人口と土地の生産物の多少、次いで諸般の事務に人員と経費がどれほどかかっているかを調べて記録した。ここにその事実を報告し対策を検討することを願う」
この公文書で「本郡所属の独島」と記されているのが目をひきます。これはいうまでもなく、韓国の行政機構が竹島=独島を韓国領と認識していたことを意味します。また、独島の名前が韓国の公文書にはじめて登場したのも注目されます。
独島の名は、日本では二年前にすでに確認されました。軍艦「新高」の日誌(1904.9.25)に「松島ニ於テ『リアンコルド』岩実見者ヨリ聴取シタル情報」として「『リアンコルド』岩 韓人之ヲ独島ト書シ 本邦漁夫等 畧シテ『リヤンコ』島ト呼称セリ」と記録されていました(注1)。
これらを総合すると、島根県の告示に先立って韓国でも竹島=独島はきちんと認識されており、しかも同島は韓国の行政機構により少なくとも1906年3月以前に韓国領と認識されていたことになります。
−−−−−−−−(引用おわり)−−−−−−−−−−−−−−−
日本の竹島島根県編入の翌年、1906年の上記文書が韓国側が公文書で独島という呼称使った最初ですね?
独島というのは固有名詞ではなく名称はわからない一般的な離れ小島を指している一般名詞とも読めます。
半月城さんは1904年に漁夫たちが独島と呼んでいるとも書いてますが、これは公式文書でないようですし韓国の現在の独島という正式呼称にはつながりません。
自然に読むと「日本が編入したというその離れ小島(独島)はいったいどこだ?外洋100里のところにあるのか、そんな近い島ならきっと我が国じゃろう」という感じでしょうか?
逆に言うとこの時点まで(現在言うところの)島根県の竹島(=韓国名独島)を知らなかったんじゃないの?と思ってしまいます。
そこで最後に「これらを総合すると、島根県の告示に先立って韓国でも竹島=独島はきちんと認識されており、しかも同島は韓国の行政機構により少なくとも1906年3月以前に韓国領と認識されていたことになります。」と強引に結論づけちゃうのはどうかなぁ?
そして韓国は当時はたして日本の竹島編入に抗議できなかったのかということについては既に韓国は抗議出来たはずだという論証が以前にprachakaさんによりなされていますね。
それと、よく話題になる韓国の1900年の勅令41号に出てくる石島ははたして現在このトピで争点となっている(竹島=独島)のことなのでしょうか?
石島を方言で独島と訛って呼んでしまい、いつのまにかそれがお国の言う正式名称になってしまったのでしょうか?
そうかも知れないし違うかもしれません。
mattouyaさ〜ん、歴史門外の私でも、このくらいのことは覚えてしまったよ〜ん。
しばらく投稿は控えて旧竹島トピをじっくり勉強しましょうよ。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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