Re: Re: ararenotomoさんと外一島1
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2010/01/15 02:15 投稿番号: [17675 / 18519]
できるだけ簡潔にお答えしたいと思います。
前半部分はどうも話がかみあっていなようです。
西村捨三発外務書記官あて照会の「日本海ニ在ル竹島松島之義」の「松島」
別紙甲号の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島ハ松島ナリ)」の「松島」
別紙乙号の「日本海内松島開墾之儀」の「松島」
この三つの「松島」について別々の島であることを説明していない以上、西村捨三は三つの「松島」を同じ島と認識していたのであろうと私は考えました。
>>もし、西村捨三が「日本海ニ在ル竹島松島之義」の 松島を鬱陵島と認識しているならば、竹島は鬱陵島ですから「竹島(鬱陵島)松島(鬱陵島)之義」となってしまいます。
西村捨三の照会文に対する外務省からの返信起案文書に、
“朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀ニ付御聞合之趣閲悉候右は先般該島江我人民ノ渡航漁採スル者有之趣ニテ”
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html
とあります。「蔚陵島即竹島松島之儀」とあるわけで、西村捨三の照会文が「竹島(=鬱陵島)松島(=鬱陵島)之義」となっても問題があるとは思えません。外務省はそう解釈しています。
>>隠岐島司の東文輔は、“元来朝鮮の東方海上に松竹両島の存在するは一般口碑の伝ふる所、而して従来当地方より樵耕者の往来する欝陵島を竹島と通称するも、其実は松島にして海図によるも瞭然たる次第に有之候”と回答したことから、“東文輔は海図による「松島」すなわち鬱陵島と混同してしまっています”と書かれました。しかしこの文章は、欝陵島を竹島と称するも海図では松島である、と述べただけです。
これはどうも私は東文輔の文章をもうすこし長く引用すべきであったようです。
“元来朝鮮の東方海上に松竹両島の存在するは一般口碑の伝ふる所、而して従来当地方より樵耕者の往来する欝陵島を竹島と通称するも、其実は松島にして海図によるも瞭然たる次第に有之候。左すれば此新島を措いて他に竹島に該当すべきもの無之”
東文輔は海図による「松島」すなわち鬱陵島のほかに「一般口碑の伝ふる」竹島があると述べているわけで、竹島は「一般口碑の伝ふる」竹島と海図による「松島」が同じ島と言っているわけではありません。東文輔は樵耕者が鬱陵島を竹島と通称するのは誤りで「一般口碑の伝ふる」竹島は別にあると考えていたのではないでしょうか。それは「一般口碑の伝ふる」松竹両島の「松島」と海図による「松島」を同じ島と考えたからにほかなりません。
>>これについて奥原碧雲は、『竹島及鬱陵島』(1907)で、『隠州視聽合記』『遠記(おき)古記集』『邊要分界圖考』『地誌提要』を引用して、「何れも鬱陵島を竹島とし、新竹島を松島と稱せしが如し。然に水路誌はこれを轉倒して、鬱陵島一名松島とし、新竹島をリアンコールト列岩とし佛國船の發見となせり、」と述べ、さらに「水路誌はこの岩嶼發見を外國船に委して顧みず、(中略)海圖には朝鮮の部に編入せられしが如き、遺憾の極といはざるべからず。」と嘆いています。
このように海軍は、旧幕府の見解に従い、竹島のみならず松島も日本領とは考えていませんでした。
ararenotomoさんの引用文の内、旧幕府の見解に従い現竹島=「松島」となっているのは逆説の「然(しかる)に」の前の部分、すなわち奥原碧雲が古い記録から現竹島=「松島」と解釈した部分だけです。逆説の「然(しかる)に」の後ろの部分、海軍の水路誌の認識について述べている部分では鬱陵島が「松島」となっています。海軍が古い記録から旧幕府の見解に従い現竹島=「松島」と考えていたのであれば「水路誌はこの岩嶼發見を外國船に委して顧み」ないのは不自然ではないのでしょうか。
(続く)
前半部分はどうも話がかみあっていなようです。
西村捨三発外務書記官あて照会の「日本海ニ在ル竹島松島之義」の「松島」
別紙甲号の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島ハ松島ナリ)」の「松島」
別紙乙号の「日本海内松島開墾之儀」の「松島」
この三つの「松島」について別々の島であることを説明していない以上、西村捨三は三つの「松島」を同じ島と認識していたのであろうと私は考えました。
>>もし、西村捨三が「日本海ニ在ル竹島松島之義」の 松島を鬱陵島と認識しているならば、竹島は鬱陵島ですから「竹島(鬱陵島)松島(鬱陵島)之義」となってしまいます。
西村捨三の照会文に対する外務省からの返信起案文書に、
“朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀ニ付御聞合之趣閲悉候右は先般該島江我人民ノ渡航漁採スル者有之趣ニテ”
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html
とあります。「蔚陵島即竹島松島之儀」とあるわけで、西村捨三の照会文が「竹島(=鬱陵島)松島(=鬱陵島)之義」となっても問題があるとは思えません。外務省はそう解釈しています。
>>隠岐島司の東文輔は、“元来朝鮮の東方海上に松竹両島の存在するは一般口碑の伝ふる所、而して従来当地方より樵耕者の往来する欝陵島を竹島と通称するも、其実は松島にして海図によるも瞭然たる次第に有之候”と回答したことから、“東文輔は海図による「松島」すなわち鬱陵島と混同してしまっています”と書かれました。しかしこの文章は、欝陵島を竹島と称するも海図では松島である、と述べただけです。
これはどうも私は東文輔の文章をもうすこし長く引用すべきであったようです。
“元来朝鮮の東方海上に松竹両島の存在するは一般口碑の伝ふる所、而して従来当地方より樵耕者の往来する欝陵島を竹島と通称するも、其実は松島にして海図によるも瞭然たる次第に有之候。左すれば此新島を措いて他に竹島に該当すべきもの無之”
東文輔は海図による「松島」すなわち鬱陵島のほかに「一般口碑の伝ふる」竹島があると述べているわけで、竹島は「一般口碑の伝ふる」竹島と海図による「松島」が同じ島と言っているわけではありません。東文輔は樵耕者が鬱陵島を竹島と通称するのは誤りで「一般口碑の伝ふる」竹島は別にあると考えていたのではないでしょうか。それは「一般口碑の伝ふる」松竹両島の「松島」と海図による「松島」を同じ島と考えたからにほかなりません。
>>これについて奥原碧雲は、『竹島及鬱陵島』(1907)で、『隠州視聽合記』『遠記(おき)古記集』『邊要分界圖考』『地誌提要』を引用して、「何れも鬱陵島を竹島とし、新竹島を松島と稱せしが如し。然に水路誌はこれを轉倒して、鬱陵島一名松島とし、新竹島をリアンコールト列岩とし佛國船の發見となせり、」と述べ、さらに「水路誌はこの岩嶼發見を外國船に委して顧みず、(中略)海圖には朝鮮の部に編入せられしが如き、遺憾の極といはざるべからず。」と嘆いています。
このように海軍は、旧幕府の見解に従い、竹島のみならず松島も日本領とは考えていませんでした。
ararenotomoさんの引用文の内、旧幕府の見解に従い現竹島=「松島」となっているのは逆説の「然(しかる)に」の前の部分、すなわち奥原碧雲が古い記録から現竹島=「松島」と解釈した部分だけです。逆説の「然(しかる)に」の後ろの部分、海軍の水路誌の認識について述べている部分では鬱陵島が「松島」となっています。海軍が古い記録から旧幕府の見解に従い現竹島=「松島」と考えていたのであれば「水路誌はこの岩嶼發見を外國船に委して顧み」ないのは不自然ではないのでしょうか。
(続く)
これは メッセージ 17667 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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