Re: 宋炳基氏の地図認識2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2009/11/08 07:29 投稿番号: [17589 / 18519]
>一方、掃討官朴錫昌『欝陵島図形』(1711)は欝陵本島から東2・5kmに位置する今日の竹島(竹嶼)を「所謂于山島」と記した。さらに、時代が少し下ると「所謂于山島」と記入した地図がみられる。
しかし、于山・欝陵1島説の論拠になった「所謂于山島」系統の地図は19世紀末期になって消滅したようである。それは、検察使李奎遠の欝陵島外図(1882)がその島を竹島と記入したためである。
>引用終わり
>竹嶼を「所謂于山島」と記したのであれば、于山島は竹島=独島ではなく竹嶼のはずであり、19世紀末期になって消滅したからといって于山・欝陵1島説の論拠であることを否定することはできないはずですが、この箇所ではこれらの疑問についてはなにも語られていません。
『大韓全図』(1899)『大韓輿地図』(1900)ともに「于山」の表記が残っていますね。
「検察使李奎遠の欝陵島外図(1882)がその島を竹島と記入した」のは元もと李奎遠が鬱陵島于山島同一島説を採っていたから、「その島」を于山島と呼ぶのを嫌っただけのことでしょうね。
これは メッセージ 17588 (yabutarou01 さん)への返信です.
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