石島新資料その結末は???
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2009/04/18 06:16 投稿番号: [17437 / 18519]
>>舊韓國地方行政區域名稱一覽見てきましたが、島の記述はなく洞名しか記載されてないようです。
henchin_pokoider01 さんありがとうございます。
「石島新資料」については実はこちらで延々と議論を重ねていました。
https://www.blogger.com/comment.g?blogID=26948035&postID=6195072183402849141&page=1
ご指摘のとおり「舊韓國地方行政區域名稱一覽」には石島の記述はありません。
「 鬱陵郡誌 」には「舊韓國地方行政區域名稱一覽」と「新旧対照朝鮮全道府郡面里洞名称一覧」からの引用として1900年時点の鬱島郡の地名が記述されているにもかかわらず、1900年時点の鬱島郡の地名はこれら二つの資料には載っていなかったわけで明らかに不可解です。
また「 鬱陵郡誌 」のこの部分はキム・ギヒョク、ユン・ヨンチュル「朝鮮―日帝強占期 鬱陵島地名の生成と変化」という論文からの引用であることが判明しましたが、この論文には明らかに石島が北面所属であると書かれています。
最初の画像
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/uturyougunnsi.html
このようなことになっている理由については二つの解釈が対立しています。
一つめの解釈は私の説「藪太郎説」です。
1900年時点の鬱島郡の地名が「舊韓國地方行政區域名稱一覽」と「新旧対照朝鮮全道府郡面里洞名称一覧」からの引用でないならば、それ以外の第三の資料からの引用に違いない。第三の資料の名前を明らかにしていないのは明らかできない理由があるからであろう。明らかできない理由があるならばそれは第三の資料は竹島領有権論争において都合が悪いからに違いない。第三の資料に石島北面所属の記述があるかもしれない。
というものです。
二つめの解釈は「matsu氏説」です。
1900年時点の鬱島郡の地名は「舊韓國地方行政區域名稱一覽」と「新旧対照朝鮮全道府郡面里洞名称一覧」の1906年の地名をもとに適当にでっち上げたものであり第三の資料は存在しない。でっち上げた南面・北面の地名にさらに勅令四十一号の記述をもとに「竹島石島」を書き加えたが、その際にうっかり「竹島石島」を北面所属であるかのごとく書き間違えてしまったものである。したがって石島北面所属の記述はただの書き間違いであり事実ではない。
この「matsu氏説」はまるっきり無茶苦茶な説のように思えますが「藪太郎説」は論文「朝鮮―日帝強占期 鬱陵島地名の生成と変化」を読む前に作られたものでありこの論文を読んでみると私もむしろ「matsu氏説」のほうが有力なのではないかと思えてきました。
実は私の説「藪太郎説」には致命的な欠陥があります。それはこの仮説は心根の善悪に関わらず人は皆合理的に考えて合理的に行動するであろうという前提で作られたものであるからです。しかしながら実際のところ人はかならずしも合理的に考えて合理的に行動するとは限りません。韓国人ならなおさらです。
私は学者である以上根拠がないのにでっちあげたりうっかり書き間違えたりすることはないと判断して「藪太郎説」を編み出したわけですが、よく考えてみると韓国人学者ならやりかねないと思わなくもありません。。。
結局のところまだ結論は出ていません。
henchin_pokoider01 さんありがとうございます。
「石島新資料」については実はこちらで延々と議論を重ねていました。
https://www.blogger.com/comment.g?blogID=26948035&postID=6195072183402849141&page=1
ご指摘のとおり「舊韓國地方行政區域名稱一覽」には石島の記述はありません。
「 鬱陵郡誌 」には「舊韓國地方行政區域名稱一覽」と「新旧対照朝鮮全道府郡面里洞名称一覧」からの引用として1900年時点の鬱島郡の地名が記述されているにもかかわらず、1900年時点の鬱島郡の地名はこれら二つの資料には載っていなかったわけで明らかに不可解です。
また「 鬱陵郡誌 」のこの部分はキム・ギヒョク、ユン・ヨンチュル「朝鮮―日帝強占期 鬱陵島地名の生成と変化」という論文からの引用であることが判明しましたが、この論文には明らかに石島が北面所属であると書かれています。
最初の画像
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/uturyougunnsi.html
このようなことになっている理由については二つの解釈が対立しています。
一つめの解釈は私の説「藪太郎説」です。
1900年時点の鬱島郡の地名が「舊韓國地方行政區域名稱一覽」と「新旧対照朝鮮全道府郡面里洞名称一覧」からの引用でないならば、それ以外の第三の資料からの引用に違いない。第三の資料の名前を明らかにしていないのは明らかできない理由があるからであろう。明らかできない理由があるならばそれは第三の資料は竹島領有権論争において都合が悪いからに違いない。第三の資料に石島北面所属の記述があるかもしれない。
というものです。
二つめの解釈は「matsu氏説」です。
1900年時点の鬱島郡の地名は「舊韓國地方行政區域名稱一覽」と「新旧対照朝鮮全道府郡面里洞名称一覧」の1906年の地名をもとに適当にでっち上げたものであり第三の資料は存在しない。でっち上げた南面・北面の地名にさらに勅令四十一号の記述をもとに「竹島石島」を書き加えたが、その際にうっかり「竹島石島」を北面所属であるかのごとく書き間違えてしまったものである。したがって石島北面所属の記述はただの書き間違いであり事実ではない。
この「matsu氏説」はまるっきり無茶苦茶な説のように思えますが「藪太郎説」は論文「朝鮮―日帝強占期 鬱陵島地名の生成と変化」を読む前に作られたものでありこの論文を読んでみると私もむしろ「matsu氏説」のほうが有力なのではないかと思えてきました。
実は私の説「藪太郎説」には致命的な欠陥があります。それはこの仮説は心根の善悪に関わらず人は皆合理的に考えて合理的に行動するであろうという前提で作られたものであるからです。しかしながら実際のところ人はかならずしも合理的に考えて合理的に行動するとは限りません。韓国人ならなおさらです。
私は学者である以上根拠がないのにでっちあげたりうっかり書き間違えたりすることはないと判断して「藪太郎説」を編み出したわけですが、よく考えてみると韓国人学者ならやりかねないと思わなくもありません。。。
結局のところまだ結論は出ていません。
これは メッセージ 17435 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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