Re: 内藤正中インタビュー
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/11/19 05:40 投稿番号: [17145 / 18519]
ahirutousagi2様
>一つは、太政官に上げられた「大谷家図面」「磯竹島略図」の松島は「現在の目から見て」竹島=独島にほかならない。太政官がほかの資料をあたった証拠もない。だから、外一島は独島という立場。(16120)
>二つの島だけが記されるのはその通りですが、その島が、どの位置で考えられたか。それぞれどの島に比定されたか、その認識が大切ではないでしょうか。それは、結局、1878年の外務省による鬱陵島=松島の規定や、軍艦天城の調査にまでつながって来るのです。
あるいは、まさか、私のような素人がこの掲示板に書き込んでいるような、
1867年
勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島。リアンクールも記載あり)
1875年
陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島[アルゴノート・ダジュレーか])
1877年
文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島[アルゴノート・ダジュレーか])
1881年
内務省地理局「大日本府県分轄図」(アルゴノート・ダジュレーの位置に竹島・松島)
(16121)
全面的に賛成します。
「太政官がほかの資料をあたった証拠もない。」という主張は、裏を返せば「身近にある資料すら参照せず、150年も前の見取り図(の写し)のみで決定した。」ということになりますが、これはほぼあり得ません。
容易に入手出来る、しかも、遙かに信頼性の高い地図と照合するのが通常人の行動です。また、大縮尺の図面を小縮尺の地図と照合して、全体の位置関係を確認するというのも当たり前の行動ですから。
これは メッセージ 17144 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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